高等学校倫理/ギリシャの思想Ⅱ

古代ギリシア

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古代ギリシア人は当初、古代エジプト文明の影響を受けて文化を発達させてきた。やがて、古代ギリシア人は独自の文化を作り上げ、建築や彫刻などの美術の世界にすぐれた創造力を発揮しただけでなく、今なお読み次がれる文学を生み出し、哲学を生み出した。また、ポリス(都市国家)という共同体の中で民主的な社会制度を作り上げていった。

ギリシア文化がその後の西洋思想や様々な学問に与えた影響は計り知れない。特に理性的にものごとを考察しようとする合理的精神や人間のあるべき姿を追求する理想主義の生き方は古代ギリシアが後世に伝えたすぐれた遺産である。

ポリス

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古代ギリシアの文化を生み出し、育んだのがポリスの生活である。それぞれのポリスには国家の守護神を祭る神殿のほか、アゴラ(公共広場)や野外劇場などがあり、市民たちはそこでの生活を通じて所属するポリスへの愛着や他のポリスへの競争心を育てていった。 ポリスごとに政治体制などの違いがあり、絶えずポリス間の抗争はあったが、言語・宗教・デルフィの神託・オリンピックの元になったオリンピアの祭典などによって、一民族としての意識は持ち続けていた。また、古代ギリシア社会は多数の奴隷による労働によって支えられた奴隷制社会であり、市民だけが自由であった。市民たちにとっては、労働とは奴隷のすることとみなされた。市民は政治に参加したり、軍務に着いたり、学問や芸術についてアゴラで対話したりすることの方が大切だとされた。このようなポリスでの生活と文化がその後のギリシア哲学の形成に大きな影響を与えることになる。

哲学のはじまり

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自然哲学

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ギリシアで哲学が生まれたのは紀元前6世紀ごろである。人々は「人間とは何か」「世界はどうしてできているのか」といったことを考えるようになった。はじめ、人々はこれらを神々の働きを中心とした神話(ミュトス)によって説明しようとした(神話的世界観)。しかし、古代ギリシアの植民都市であったミレトスを中心として、自然を合理的に説明することで、世界や人間存在などの万物の根源(アルケー)について探求する動きが生まれた。そこで重視されたのが、人間固有の能力である理性(ロゴス、logos)に基づいた合理的な考え方である。

そうした中、エジプトで数学を学んだタレスは「万物の根源は水である」と主張し、「水」によって自然界の生成変化を説明しようとした。タレスによる説明の特徴は、ある一つのものを基準としてとらえること(一元論)、経験・観察に基づいていること、世界を感覚可能な自然物によって説明しようとしたことにある。

タレス以降、さまざまな哲学者があらわれ、タレスとは異なるアルケーを主張した。たとえばヘラクレイトスは世界を動的にとらえたため、「万物は流転する」ととなえ、アルケーを「火」とした。 また、ピタゴラスは数学の比例などに注目し、アルケーは「数」であるとした。ピタゴラスは数学上の発見も多い。

デモクリトスはアルケーを分割不可能な「原子(アトム、アトモン)」であるとした。

このような哲学者たちが、ギリシアおよび周辺のイタリアやエーゲ海東岸の小アジアなどの植民都市に登場し、世界や人間についての自由で大胆な問いを発した。「哲学」はこのように、われわれをとりまく自然界の根源をさぐるいとなみ(自然哲学)として出発したのだ。

彼らの著作は長い歴史の中で様々な不運が積み重なって、現代ではまとまったものとして残ってはいない。しかし、その後の西洋哲学の基礎を作り上げたという事実に変わりはない。また、ピタゴラスやデモクリトスなどは数学や自然科学にも多大な影響を与え、近代科学の発展を準備することになった。

自然哲学者 アルケー 出身地
タレス ミレトス (エーゲ海東部の港湾都市)
ヘラクレイトス エフェソス (エーゲ海東部の港湾都市)
ピタゴラス 数(整数) サモス島 (エーゲ海東部の島)
エンペドクレス 火・風(空気)・土・水 アクラガス (シチリア島の都市)
デモクリトス 原子(アトム, アトモン) アブデラ (エーゲ海北岸の都市)

発展・古代ギリシアと科学

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ピタゴラスは(直角三角形の)「三平方の定理」の発見者でもあるとされる。海外では、直角三角形のこの定理は「ピタゴラスの定理」(に相当する訳語)と言われるのが普通である。ピタゴラスのほかタレスも、幾何学の研究をしていた。このように古代ギリシアでは、数学が重視されていた。

歴史学では一般に、古代ギリシアでこのように数学が論理思考の手段として尊重されるようになった背景として、半島国家であるギリシアは異民族(地中海周辺の異民族)との貿易などのために世界共通の知識土台が必要となったこと、統一された「ギリシア」という国家が存在せず、ポリスごとに文化や社会制度が異なっていたことがあげられる。どこでも共通に必要とされることの多い計算法や作図手法などが、論理的な説明の手段として尊重されるようになっていき数学として論理的に体系化されただろう、と考える通説が、歴史学などではよく言われる。そして、数学と同様に、土などの物質や風などの自然現象も、民族にかかわらず共通であろう。このような背景のもと、自然哲学が古代ギリシアで盛んになっていったと思われる。

当時、エジプトなどギリシア以外の外国でも計算術や作図法はあったが、しかし、それら外国の計算法・作図法では、ギリシアほど論理的な厳密化はなされなかったようだ。そのため、論理的な証明を重んじる数学の発祥の有力な地として、古代ギリシアが発祥地だろうと考えられている。ギリシアで数学が論理的に整備された背景として、民主主義が言われる。民主制では、自らの意見を的確かつ誰でもわかるように説明することが求められたため論理学・数学が発展したのだろうと考えられている。

しかし、古代ギリシアの自然哲学は、自然の観察と経験を元にした考察が重視された反面、実験による検証法は確立していなかった。こうした制限があったため、後述するように、弁論をもてあそぶソフィストの流行を迎えることになる。

ソフィスト

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パルテノン神殿。古代ギリシアのポリスの一つ、アテネの中心に建てられた神殿。

紀元前5世紀ごろになると、古代ギリシア社会がさらに発展し、特にアテネにて民主制が成立すると、人々の関心は自然から人間や社会へと移っていった。そうした中で活躍したのがソフィストとよばれる人々である。彼らは数学や自然哲学、政治、法律などを修め、市民たちに様々な学問を教えるようになった。かれらはポリスからポリスへと渡り歩いていたため、法律や道徳がポリスごとにちがうことをよく知っており、善悪や正邪の基準も決して絶対的ではないと論じた。特にプロタゴラスは「人間は万物の尺度である」という言葉を残した。物事の真偽をはかるものさし(尺度)は絶対的な何かではなく、ひとりひとりの人間の考え方や感じ方にあるというのである(人間中心主義)。

特にかれらが重視したのが弁論術である。ソフィストは人々を説得し、自分の主張を伝えるための方法を発達させていった。特にアテネのような民主政のポリスでは、民会や法廷で自分の考えを的確に伝え、説得する技術は非常に重要だったからである。しかし、ソフィストたちの議論はやがてわざと論理を誤用する詭弁を用いたり、巧妙な説得の技術を用いて人々の注目を集めるだけのものとなった。もともとソフィストたちには「真理とは何か」と問う気持ちは強くなかったのが原因である。 かれらの新しい思想は古いしきたりや権威から自由なものの考え方を広めるのに貢献した。その一方で、普遍的・客観的な真理を追究しようという姿勢は軽視された。

まとめ

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タレスは「万物の根源は水である」と主張した。エンペドクレスは「万物の根源は、火、水、空気、土の4つが万物の構成要素である」とした。もちろん現代の我々からしてみれば、この主張は化学的に間違っている事を知っている。また、デモクリトスは「万物の根源は原子(アトム)だ」と主張した。しかし、デモクリトスのいう「原子」は理科(化学)で習う「原子」とは大きく異なる。

では、どうして、古代ギリシアの自然哲学者たちについて学ぶのだろうか。「大昔はいまほど科学が発達してなかった」ことを確認するためだろうか。それならば、わざわざ彼らの考えたことを見るまでもないだろう。

古代ギリシアのあらゆる学問をまとめたアリストテレスによれば、「哲学する」ということは、この世界のありように驚きをもって接し、それが「何であるのか」「何ゆえか」というものごとの原理・原因・根拠への問いを行い、それを根気強く探求する営みだという。このことから言えることは、古代ギリシアの自然哲学者が何を考えたのかについて知ることは重要ではなく、どのように考えたのかが重要だということである。彼らは自然界の営みを「当たり前のこと」とせず、神話による説明にも止まらず、自然を観察することによって自然を理解しようとした。これはこの世界がどのようなものであるのかを探り、世界観を確立する試みの例である。それは神の意思や運命といった自然を越えたものから自由になろうとする試みでもあり、究極的には自分はどう生きるのかという問いかけにもつながっていく。

このことは、あとでソクラテス、プラトン、アリストテレスやルネサンス以降の思想家たちについて見ていくときにも思い起こしてほしい。