高等学校古文/歴史書/史記/楚人沐猴而冠

概要

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鴻門之会‎‎で、劉邦を討ち損じた項羽は、秦の首都咸陽の処分に向かう。

本文

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居數日、項羽引兵西屠咸陽、殺秦降王子嬰、燒秦宮室、火三月不滅、收其貨寶婦女而東。

居ること数日[1]、項羽兵を引きいて西し、咸陽を屠る。秦の降王子嬰[2]を殺し、秦の宮室を焼く、火三月[3]滅せず、其の貨寶と婦女を收め、東す。
(鴻門之会‎‎を終え)数日居留して、項羽は兵を率いて、西に向かい、咸陽を滅ぼしてしまった。降伏した秦王子嬰を殺し、秦の王宮(阿房宮)に火をかけた、(王宮は巨大であったので)火は三ヶ月も消えないほどであった。財宝と仕えていた女官を収容し、東に戻った。

人或說項王曰「關中阻山河四塞、地肥饒、可都以霸」

人或ひは項王に說ひて曰はく「關中[4]山河を阻てて四塞し、地は肥饒なり、都して以って霸たるべし」と
ある人が、項羽に提言して言った、「関中は、山河に四方を囲まれ(防衛がしやすく)、土地は肥えています。ここを都として、中原を制覇すべきです。」

項王見秦宮皆以燒殘破、又心懷思欲東歸、曰「富貴不歸故鄕、如衣繡夜行、誰知之者」

項王秦の宮室の皆以(すで)に[5]焼け残破せるを見、又心に懐思し、東帰せんと欲して、曰く、「富貴にして故郷に帰らざるは、繍を衣て夜行くが如し。誰かこれを知る者ぞ」と。
項羽は、秦の王宮がすでに灰燼に帰してしまったのを見て、また、里心がついて、東の楚の国に戻りたいと思い、言った、「成功して故郷に戻ってその姿を見せないのは、錦の服を着て、真っ暗な夜歩くようなものである。誰も、(その成功を)知らないではないか」

說者曰「人言楚人沐猴而冠耳、果然」

説者曰く、「人言う、『楚人(そひと)[6]は、沐猴(もくこう)にして冠するのみ[7]』と。果して然り」と。
提言したものが(陰で)言った、「『楚人は、サルが冠をかぶっただけだ』というが、まったくそのとおりだ」

項王聞之、烹說者。

項王これを聞き、説者を烹る。
項羽が、それを聞きつけて、この者を煮殺してしまった。

語注

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  1. ^ 「居」はもとの状態がそのまま続くこと。
  2. ^ 秦の三世皇帝(王)。始皇帝の孫。在位46日で劉邦に降伏した。
  3. ^ 直訳は三ヶ月。ただし、誇張表現で、長い期間の意味。
  4. ^ 秦の都・咸陽一帯を指す。ただし、『史記』が書かれた頃は函谷関以西を指した。
  5. ^ 「已」と同じ。
  6. ^ 楚の国の人。ここでは項羽を指す。
  7. ^ 見かけは立派だが大人物ではないことのたとえ。

解説

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劉邦を取り逃がしたものの、項羽はまだ帝王へ王手がかかっていた。しかし、ここで見たように咸陽を破壊・略奪したため、関中の人々の信望を失い、恨みまで買うことになった。彼はその土台を自ら破壊するような行為を行ってしまったのである。

なお「錦をきて故郷へ帰る」は直接にはこの章句ではなく『南史』「衣錦還郷」に由来する。