高等学校の学習 > 高等学校国語 > 高等学校文学国語 > 高等学校文学国語/小景異情

本文

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その一

白魚はさびしや
そのくろき瞳はなんといふ
なんといふしほらしさぞよ
そとにひる()をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しば()けり

その二

ふるさとは 遠󠄁きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食(かたゐ)と なるとても
帰るところに あるまじや
ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 淚ぐむ
そのこころもて
遠󠄁きみやこに かへらばや
遠󠄁きみやこに かへらばや

その三

銀の時計をうしなへる
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて泣いてをり

その四

わが靈のなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
懺悔の淚せきあぐる
しづかに土を掘りいでて
ざんげの淚せきあぐる

その五

なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮しのやすらかさ
けふも母ぢやに叱られて
すもものしたに身をよせぬ

その六

あんずよ
花着け
地ぞ早やに輝やけ
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
ああ あんずよ花着け

注釈

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  • くろき瞳:小さく白い白魚の、さらに小さい黒点のつぶらさを鮮明に描く。
  • しほらしさ:控え目で愛すべきこと。
  • ひる餉:昼食のこと。作者は郷里の金沢の食堂の片隅で一人淋しく食事をしている。養母に疎外感を感じ、家があるのに外食をする悲しい境遇だった。
  • わがよそよそしさとかなしさと:自分の心にしっくり来ない、どこにも身の置き所がない悲哀感や孤独感が根底にある。
  • ききともなやな:
  • 雀しば啼けり:雀がむやみに鳴き、聞きたくもないなあ。まるで雀に嘲笑されているかのようで、苛立ちを感じさせる。
  • ふるさと:ここでは、作者の故郷・石川県金沢を指している。
  • よしや:たとえ。仮に。
  • うらぶれて:ここでは「落ちぶれて」の意。
  • 異土:見知らぬ土地。異郷。ここでは都・東京のことを指す。
  • 乞食:人から金や物をめぐんでもらって生活している人。
  • かへらばや:帰りたいものだ。
  • 緑もえいで:
  • せきあぐる:込み上げてくる。
  • すもも:プラム。桃に似た見た目で、果肉は赤〜黄色で酸味が強い。漢字では「李」。
  • あんず:アプリコット。カラモモ。日本在来種は酸味が強いので加工食品に利用される。漢字で書くと「杏子」。

鑑賞

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この『小景異情』は、1918年に発表された詩集『抒情小曲集』に収められた文語自由詩である。当時は西欧詩の翻訳を起源とする近代詩の時代であり、日常語を用いて社会的な内容を描いた自由詩が好まれた。「小景」は「ちょっとした風景」、「異情」は「風変わりな心」の意。

作者の室生犀星は1889年生、1962年没の詩人・小説家で、現在の石川県金沢市に生まれた。本名は室生照道。高等小学校(現在の中学校)を中退するも、北原白秋に認められ、萩原朔太郎、芥川龍之介らとも親交を築いた。

若き頃の犀星は、複雑な家庭環境のため早くから人生の孤独を知らされ、愛情に飢えていた。文学を志して上京するも、貧窮に喘ぐ彷徨生活が続いて志を得られず、何度か故郷・金沢との間を往復した。そのような境遇の中で犀星は独自の自由詩型を創出し、それによって書かれたのが『抒情小曲集』である。

以下、『抒情小曲集』「序文」を引用する。

この本をとくに年すくない人々に読んでもらいたい。私と同じい少年時代の悩ましい人懐こい苛苛しい情念や、美しい希望や、つみなき慈事や、限りない嘆賞や哀憐やの諸諸について、よく考えたり解ってもらいたいような気がする。少年時代の心は少年時代のものでなければわからない。おなじい内容は私のこれらの詩と相合してそして、初めて理解され得るように思う。みながみなで感じる悩ましさや望を追う心は、きっと此中でぶつかり合うように思う。・・・・私は抒情詩を愛する。わけても自分の踏み来った郷土や、愛や感傷やを愛する。・・・もとより詩のよいわるいはすききらいより外の感情で評価できないものだ。これらの詩がどれほどハアトの奥の奥に深徹しているかについて、今私は何もいえないけれど、人々はきっと微笑と親密とを心に用意して読んでくれるだろうと思う。むずかしい批評や議論ぬきの「優しい心」で味ってくれるだろうと思う。