小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり/「くにづくり」についての日本神話

本章は、参考としての読み物なので、特に覚えるものはありません。気軽に読んでください。

神話とは、ある民族などが信じる神などが、大昔に活躍して、現在の世界を作っていく物語です。

文字のない時代に、人々は、いろいろなできごとを、物語にして、言葉で語り伝えてきました。人が記憶によって伝えるのですから、語り伝えている間に、正しく伝わらなかったり、伝える人に都合よくかえられたり、また、よくわからないことについては、神秘的なできごと、つまり、(かみ)さまのやったことにしてしまったりしています。ですから、それは「歴史」といえるほどに正確なものとはいえませんが、元々のできごとを想像させたり、それを語りついだ人々の考えを知ったりすることができます。これは、世界中の人々がもつ共通の習慣です。神話を知ることは、その民族や宗教を理解する方法の一つでもあります。

日本においても、神話は語りつがれていました。奈良時代になって、多くの日本神話が多く書き残されました。特に、大和朝廷の成立に関係する神話については『古事記(こじき)』・『日本書紀(にほんしょき)』という書物にまとまります。この二つの書物の名をとって、これらの神話を、記紀(きき)神話と言い、本章では、これらのいくつかを取り上げ、簡単に紹介します。

ただし、注意しなければならないのは、神話はあくまでも物語であって、歴史とはことなります。神話を、まるで本当の歴史であるかのように言うことには、注意しておかなければなりません。

国産み・神産み神話編集

 
イザナミとイザナギが地上に降りようと天空から島を作ろうとしているところ

男神イザナギと女神イザナミは結婚して、日本の国土の島々を産み、また、さまざまな物事に関するたくさんの神々を産みました。

あらすじ編集

国産みと神産み
大昔の世界は、陸地がなく、大きな海だけがありました。この世界の天空に、何人かの神が現れました。その中の男神イザナギと女神イザナミは、陸地を作ろうと、海の中に島を作り、天上から下ります。
そこで、二人は夫婦となり、子供を産んで、それが日本の国土になります。まず産んだのが①淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま、淡路(あわじ)) 、次に②伊予之二名島(いよのふたなのしま、四国) 、つづいて、③隠伎之三子島(おきのみつごのしま、隠岐(おき)島) 、④筑紫島(つくしのしま、九州)、 ⑤伊伎島(いきのしま、壱岐(いき))、⑥津島(つしま、対馬(つしま)) 、⑦佐度島(さどのしま、佐渡島(さどがしま)) 、最後に⑧大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま、本州)を産みました(太字は現在の地名です)。これら大きな八つの島は日本を形作る島なので大八洲(おおやしま)といいます。
つづいて、二人は瀬戸内海の島々を産みます。
国を産んだイザナギとイザナミは、さらにつづいて家守る神や風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々を産みます。
そして、火の神である火之迦具土神(かぐつちのかみ)を産んだイザナミは、やけどを負って死んでしまいます。
黄泉(よみ)の国探訪(たんぼう)神話
悲しんだイザナギは、黄泉(よみ)の国(死後の世界、「()の国」とも言います)へ、イザナミを取り戻そうと向かいます。
黄泉の国のくらやみで、イザナギにあったイザナミは、イザナギに「根の国の神様と相談するので待っていてください。その間、決して私のすがたを見ないでください」とお願いします。
イザナギは、言われたとおりにしていましたが、長い時間待たされ、イザナミの姿を一眼見たいと、がまんできずに、もっていた(くし)に火をつけあかりにして、イザナミの声のする方をともしてみました。そこで、イザナギが見たものは、醜く腐り果てたイザナミの姿とそれを取り囲む鬼たちでした。
おどろいたイザナギは、地上へ出ようと逃げ出します。
姿を見られたことに怒ったイザナミは家来のヨモツシコメ(黄泉の国の怪力の女鬼「シコメ」)らに、イザナギを追いかけさせます。イザナギが かみかざりを投げつけると、それはたちまちブドウに育ってシコメたちは、それを食べるのに夢中になります。食べ終わって、また追いかけ出すと、つぎにイザナギは(くし)の歯を折ってシコメらに投げつけます。そうすると、くしの歯は、たちまちタケノコに育って、やはり、シコメたちはそれに気を取られ追いかけられません。
イザナミは代わりに雷神(らいじん)(カミナリの神)と鬼たちを送りこみます。イザナギは黄泉比良坂(よもつひらさか、この世と死後の境を分ける坂)まで逃げのび、そこにあった霊力のあるモモの実を投げつけて追手(おって)を退けます。
最後にイザナミ自身が追いかけてきましたが、イザナギは千引(ちびき)の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道をふさぎます。イザナミは怒って「いとしい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶとイザナギは「いとしい人よ、それなら私は1日に1500の子を産ませよう」と返して、地上にもどって行きました。

解説編集

世界ができあがる神話を創造(そうぞう)神話・創世(そうせい)神話といいます。世界のほとんどの神話がこの物語を持っています。有名なものでは、聖書に書かれる、「神様は6日間でで世界をつくって、7日目に休んだ[1]。6日目に最初の人である男のアダムを作ったが、一人ではかわいそうだと考え女のイブを作った」という天地創造神話があります。
「国産み・神産み」神話は、日本神話において創造神話の部分にあたります。
この部分は、おそらく中国の歴史書などの影響を受けて記紀を作成するときに、もともとあった各地の伝説からまとめたものではないかと考えられています。なぜならば、日本や世の中のものを創造したのはイザナギとイザナミであるのに、この二神をまつる有力な神社は昔からないということが根拠に挙げられます。逆に、この部分で登場する神々が、イザナギ・イザナミに比べ多くの信者を持った神である場合もあって、それらの神を、記紀神話に結びつけた可能性もあります。
また、国産み神話では、当時の朝廷がどの領域までを国土と考えていたのかがわかります。北海道や種子島・屋久島など南西諸島を含めた沖縄などは、ここには登場しませんし、深い関係を持っていたであろう朝鮮半島も登場していません。
イザナギが、雷神(らいじん)や鬼を追い払うのになげつけたものは、モモです。何か思い出しませんか?そうです、(もも)太郎の物語です。昔の人たちは、モモに死者の世界の力を追い払う生命力のイメージを持っていたことがわかります。
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高天原(たかまがはら)神話編集

 
アメノウズメが踊るのを見て神々が騒いでいるところをアマテラスがのぞこうと岩を少し開けたところを、閉めさせるまいとタヂカラオが岩を持った情景
 
アマテラスが天岩戸からでてきて光が元に戻る情景

あらすじ編集

天岩戸(あまのいわと)神話
イザナギは、黄泉の国からもどった後、体をきよめます。きよめにあたって数々の神が現れますが、最後に、左眼から女神アマテラス[2]、右眼から男神ツクヨミ[3]、鼻から男神スサノオ[4]の3人の素晴らしい子が生まれました。イザナギは喜んで、天照に神々がすむ世界である高天原(たかまがはら)、ツクヨミに夜の世界、スサノオには海原をおさめるよう命じました。
アマテラスとツクヨミは、イザナギの命によく従いましたが、スサノオは、母親のイザナミの住む根の国へ行きたいと毎日泣いてばかりでした。イザナギはおこって、スサノオにイザナギのもとから出ていくように命じます。スサノオが根の国に向かおうとしてアマテラスに挨拶に向かいます。アマテラスは、スサノオがせめてくるのではとうたがい、これをまじないにより試しましたが、そのような気持ちではないことがわかり、高天原に住まわせます。
すると、スサノオは高天原で好き勝手な大暴れを始めました。最初はかばっていたアマテラスも困ってしまって、天岩戸(あまのいわと)と言われるほらあなにかくれて、岩戸をしめてしまいました。太陽の神がかくれたので、世の中は真っ暗やみになります。困った神々は策略をめぐらします。知恵の神であるオモイカネは、まず、鏡と勾玉(まがたま)を作らせ、それをまつって願をかけます。そして、神々を集めそのなかでアメノウズメという女神をおどらせます。神々はアメノウズメのおどりに、手をたたいて笑いおおさわぎしました。世の中が真っ暗になったのに、どうして、あんなに楽しそうにしているのか、不思議に思ったアマテラスは、アメノウズメに「どうして、みんな楽しそうなのか?」と問いかけました。アメノウズメは、「アマテラス様より尊い神様がいらっしゃったので、みんなが喜んでおむかえしているのですよ」とこたえました。アマテラスは岩戸を少し開けて、外を見てみました。その隙間にアメノコヤネとフトダマという神が、鏡を差し出します。アマテラスは、鏡に映った自分の姿を新しい神様とおもい、もっとよく見ようと、岩戸をさらに開きます。そのとき、怪力の神であるタヂカラオが、岩をつかんで無理やり開けてしまい、アマテラスは天岩戸から連れ出されてしまいました。
神々は、アマテラスに隠れてしまうと、みんなが困ることを訴え、アマテラスも、それを理解し、高天原は元の平穏な世界に戻りました。
一方で、スサノオは罰を受けて高天原を追放されました。

解説編集

この神話で、アマテラスやスサノオが登場します。
アマテラスは、太陽を象徴する神で、下にも述べますが天皇家の祖先とされる神です。アマテラスをまつる有名な神社は、三重県にある伊勢神宮(いせじんぐう)です。
天岩戸神話に出てくる鏡と勾玉は、天皇家で最も大切な宝である「三種(さんしゅ)神器(じんぎ)」のうちの二つとなります(もう一つは、次に登場する剣です)。
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出雲(いずも)神話編集

あらすじ編集

ヤマタノオロチ伝説
 
ヤマタノオロチと戦うスサノオ
高天原を追放されたスサノオは、出雲(いずも)(現在の島根県)に向かいます。川に(はし)が流れていたのを見て、上流に人が住んでいることに気づいたスサノオは川をさかのぼります。すると、美しく若い娘を年おいた夫婦がかこんでみな泣いています。スサノオがどうしたのかとたずねると、夫婦はアシナヅチ・テナヅチ、娘はクシナダヒメといい、アシナヅチが語るには「頭としっぽが八つに分かれたヤマタノオロチという大蛇がやってきて、娘をさしださないと暴れます。8人の娘がありましたが、クシナダヒメが最後の娘となりました。今夜、ヤマタノオロチがやってくるので、別れを悲しんでいるのです」ということでした。
スサノオは、「私がヤマタノオロチを退治(たいじ)してやろう。退治したならクシナダヒメを妻をしよう」というと、アシナヅチはよろこんでスサノオの言葉にしたがいました。スサノオは、強い酒を用意させて、八つのカメに入れて別々の場所に置いて、ヤマタノオロチを待ちました。ヤマタノオロチはやってきて、酒が用意されているのを見て、それぞれの首が酒を飲み始め、よっぱらって寝てしまいました。そこに、スサノオが出てきてヤマタノオロチをズタズタに切ってやっつけてしまいました。
スサノオがヤマタノオロチを切りきざんでいると、しっぽのあたりで、カチンという音がしました。スサノオが見てみると、そこには立派な(つるぎ)がありました。スサノオは、これは立派な剣なので、世の中の宝にしようと思って、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」となづけ高天原のアマテラスに差し上げました。
ヤマタノオロチが退治されて、人々は安心して生活できるようになりました。スサノオは、クシナダヒメを妻として、根の国の王としての国を治めました。
因幡(いなば)白兎(しろうさぎ)伝説 - オオクニヌシ伝説
 
オオクニヌシと白ウサギ
出雲には、スサノオの子孫である多くの神々が栄えました。その中の一人であるオオクニヌシは、多くの兄のいる末の子で兄たちにいじめられていました。あるとき、因幡(いなば)(現在の鳥取県)にヤガミヒメという美しくて素晴らしい姫がいるということで、兄弟で妻にむかえようと、因幡へ向かいました。弟のオオクニヌシは、兄たちのあとを、兄たちの荷物を持たされてついていきました。荷物が多くて兄よりかなりおくれて、ついていきます。すると、そこに全身が傷だらけのウサギが一匹泣いていました。オオクニヌシはどうしたのかと声をかけます。
「私は隠岐(おき)の島に住むウサギです。島から出て因幡にわたろうと、海に住むワニザメに『あなたたちより、私たちウサギの方がいっぱいいますよ』と声をかけると、ワニザメの一匹が『何を言ってるんだ、海の中にはオレたちの仲間はいっぱいいる』と不機嫌になりました。そこで、『じゃあ、仲間を集めて因幡までならんでください、そうしたら、その上をとびはねて、あなたたちが何匹いるかを数えてあげるから』というと、ワニザメたちが集まってきて因幡の海岸まで並びました。わたしは、ワニザメたちの背中をつたって因幡にわたってきました。あと少しで陸地につくときに、おもわず、『数なんか数えていないよ。あなたたちをだましてやったんだ』と言ってしまったので、足もとのワニザメがおこって私の毛をはいで丸裸(まるはだか)にしてしまったのです」
「浜で痛くて泣いていると、立派な神様たちがやってきました。事情を話すと『それでは、海の塩水で体を洗って、風に当たって体をかわかしなさい』といわれました。いわれたとおりに、やってみると体中がヒリヒリと痛みだし、たえられずに大声で泣き出しましたが、神様たちは笑って東へ向かっていったのです」といいました。オオクニヌシは「それは、私の兄たちだ。なんてひどいことを。それでは、こうしなさい。まず、真水で体を洗いなさい、そして、(がま)()をしいてそこに寝ていればきっとなおるよ」といいました。そうすると、ウサギの傷はたちまちなおって元の白ウサギに戻りました。ウサギは感謝して、オオクニヌシに、「ヤガミヒメは、きっとあなたを選びますよ」との言葉を残してさっていきました。ヤガミヒメは、他の神ではなく、オオクニヌシを選びました。
これをねたんだ兄神たちは、オオクニヌシを殺そうとします。そして、2回殺されるのですが、2回とも母神のおかげで生き返ります。母神は、「ここにいたら命が危ないのでスサノオさまのところににげなさい」とすすめます。
オオクニヌシは、スサノオの元にのがれます。そこで、スサノオの娘スセリビメと恋に落ちます。スサノオは、二人の結婚をなかなかゆるさず、オオクニヌシにいろいろな難題を出して試します。オオクニヌシは、スセリビメの協力でこれを解決し、スサノオに認められます。
スサノオの元からもどったオオクニヌシは、兄神たちを追放し、新しい国づくりをはじめます。そして、オオクニヌシのもとに、スクナビコナという知識豊かな神があらわれ、二人で、出雲を立派な国にしていきました。
国譲(くにゆず)り神話
 
出雲大社
アマテラスは、「地上は私の子孫が治めるべきところ」というので、出雲に使いを出して、国を(ゆず)るようにオオクニヌシに言います。
オオクニヌシは、自分の二人の息子がいいというのであれば国を譲ろうと言います。二人の息子のうちコトシロヌシは、使いに対して「了解した、国を譲ろう」といいます。もう一人のタケミナカタは「承知できない。オレと力比べをしろ」と言って、使いに戦いをいどみました。使いの中のタケミカヅチがこれを受けましたが、タケミナカタを圧倒してやっつけてしまいます。タケミナカタが逃げ出したところ、タケミカヅチがこれを追います。信濃(しなの)(現在の長野県)の諏訪(すわ)で追いついたところ、タケミナカタは「恐れ入りました。どうか殺さないでください。この土地以外のほかの場所には行きません。国はお譲りします」と許しをこいました。タケミナカタは、その地の諏訪大社(すわたいしゃ)にまつられました。
オオクニヌシは、「では、国をお譲りしましょう。その代わりに大きな(やしろ)を建てて厚くまつってください」と言って、アマテラスからの使者にアマテラスの子孫にゆずることを約束しました。この大きな社が、現在の出雲大社(いずもたいしゃ)であるといわれています。オオクニヌシは「大国主」と書きます。この「大国」を「ダイコク」と読んで、「大黒(だいこく)[5]」としても信仰を集めています。

解説編集

神話の舞台が、天上界である高天原(たかまがはら)から、実際に存在する出雲や因幡といった日本の地方になります。
出雲など山陰地方は、文明が早くからひらけた土地で、多くの古墳が造られ、銅剣などの副葬品も大量に見つかっています。また、海を越えて朝鮮半島とも面していることから、大陸からの文明も早くに伝わった地方でもあります。
おそらく、大和政権が、日本を統一する前には、出雲を中心とした強力なクニ(出雲政権)があって、大和政権がそれをしたがえたことを神話で象徴したのではないでしょうか。また、このクニ(出雲政権)は、遠く長野県の諏訪地方とも深い関係を持っていたことが想像されます。
ここで登場するスサノオは、関係の薄いアマテラス(大和政権)とオオクニヌシ(出雲政権)の間をつなぐ役割を果たしています。
山陰地方は良質の砂鉄を産出し当時から鉄づくりが盛んな地域です。ヤマタノオロチ伝説は、この鉄づくりに関係しているのではないかという説もあります。鉄をつくるには、多くの炭を必要とします。そのために多くの樹木が伐採され次に木が育つまではげ山になります。そこに大雨がおそうと洪水がおこります。ヤマタノオロチはこれをあらわしているのではないかという説です。また、退治の時に剣を手に入れますが、これが、鉄づくりの結果であるということにもつながります。なお、この天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名を改め「三種の神器」の一つとなります。
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天孫降臨(てんそんこうりん)神話・日向(ひゅうが)神話・神武東遷(じんむとうせん)神話編集

あらすじ編集

天孫降臨(てんそんこうりん)神話
 
ニニギが降臨したとされる霧島(きりしま)山中の高千穂峰(たかちほのみね)[6]
アマテラスはオオクニヌシからの国譲りを無事すませると、息子のアメノオシホミミを地上に下して、世の中を治めさせようとしました。ところが、アメノオシホミミは「天下りの準備をしているうちに、ニニギが生まれました。この者を下して世を治めさせましょう。」と言いました。アマテラスも納得して、孫のニニギを地上に下すことにしました。
アマテラスは、お供にアメノコヤネフトダマアメノウズメら五人を選びます。
そして、ニニギに三種の神器を与え、それぞれの守り神としてオモイカネタヂカラオ、アマノイワトワケをつけました。
これら一行を武神である中臣(なかとみ)氏とアマクツメが先導し、日向(現在の宮崎県)の高千穂(たかちほ)におりたちました。
ニニギは、コノハナサクヤヒメと出会い、姫を妻にし、ホデリ、ホアカリ、ホオリなどの子をえました。


 
ワダツミの宮殿で、(かつら)の木にすわる山幸と、井戸のそばに立つ赤い衣のトヨタマヒメが描かれている。
- 青木繁
日向(ひゅうが)神話 - 海幸(うみさち)山幸(やまさち)伝説
ニニギの子の山幸彦(やまさちひこ)(山幸、ホオリ)は、山の方に住んでシカやイノシシやウサギといったケモノをとらえるのが得意でした。一方、兄の海幸彦(うみさちひこ)(海幸、ホデリ)は、海で魚をとるのが得意でした。ある日、山幸が海幸に、「一度、道具を交換して、おたがいの得意なことをやってみよう」ともちかけ、海幸はしぶしぶ承知しました。
二人は、お互いの得意なことを代えてやっていましたがうまくいきませんでした。しかも、山幸は釣り針を無くしてしまいました。山幸は自分の剣をつぶして、1000本の釣り針を作って、海幸にあやまりましたが、海幸はゆるさず、山幸に、もとの釣り針を探して返すように命じました。
山幸が、海岸で困っていると、潮流(ちょうりゅう)の神がとおりかかって、どうしたのかをたずねます。山幸が事情を話すと「それならば、海の神であるワダツミをたずねなさい」と教えてくれました。
山幸は、海中のワダツミの館をおとずれますが、中に入ることができません。外の井戸の上にある(かつら)の木の上で人がとおりかかるのを待っていると、水くみに召使いの娘がやってきました。山幸が水を求めたので、召使いが水を器に入れて差し出すと、山幸は水を飲まずに首にかけていた玉を口に含んでその器に吐き入れました。すると玉が器にくっついて離れなくなったので、召使いは玉のついた器をワダツミの娘であるトヨタマヒメに差し上げて、事情を話しました。不思議に思って外に出たトヨタマヒメは、山幸を見て一目で好きになりました。父のワダツミも外に出てきて山幸の姿を見て、ニニギの息子である貴人であることがわかり、豊玉姫と結婚させて、館でもてなしました。
山幸は、ワダツミの館で3年を楽しくすごしましたが、ある日、釣り針の話を思い出してため息をつきました。トヨタマヒメは心配して山幸にどうしたのかをたずね、山幸は、ここをたずねてきた理由を話しました。
海神ワダツミは、魚たちを集めて釣り針の行方をききました。すると、アカダイののどに引っかかっていることがわかり、山幸は釣り針を取り戻し地上にもどることになりました。
地上にもどる山幸に、ワダツミは『しおみちの玉』と『しおひの玉』をわたして、「海幸が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、海幸が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。海幸が攻めて来たら『しおみちの玉』でおぼれさせ、苦しんで許してくださいと言ったら『しおひの玉』で命を助けなさい」と言って、地上に送りとどけました。
地上にもどった山幸は、海幸に釣り針を返しました。また、海神から言われたとおりに、海幸と反対の場所に田を作りました。海神は水を(つかさど)っている神なので、山幸の田には水を回して豊作に、海幸の田には水を回さず米が取れないようにしました。そのために、山幸はだんだん豊かに、海幸はだんだんまずしくなっていきました。これをねたんだ海幸は、軍隊をひきいて山幸をせめました。山幸は、『しおみちの玉』を出して、洪水を起こして海幸たちをおぼれさせました。海幸は、手をバタバタさせて、山幸に許してくれるようおねがいしました。山幸は『しおひの玉』を取り出し、水をひかせました。助けられた海幸は、これから子孫にいたるまで山幸にしたがうことを約束しました。
山幸の子孫はやがて天皇家となり、海幸の子孫は南九州に勢力を持った隼人(はやと)[7]となり、大和政権に従います。


 
八咫烏(やたがらす)の案内で大和地方に入るイワレヒコ(=神武天皇)
神武東遷(じんむとうせん)神話
トヨタマヒメは、山幸を追って地上に上がり、山幸との間にウガヤフキアエズを産みます。
ウガヤフキアエズの子であるイワレヒコは、兄のイツセとともに、日向の高千穂で、葦原中国(あしはらのなかつくに)(=日本)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにしました。日向から船出し、(とよ)の国(現在の大分県)の宇佐(うさ)から、筑紫(ちくし)の国(現在の福岡県)など北部九州を治め、さらに、安芸(あき)の国(現在の広島県)、吉備(きび)の国(現在の岡山県)と瀬戸内海沿岸の国々をしたがえ、東に向かいました。やがて、浪速(なにわ)の国(現在の大阪府)についたイワレヒコらは、そこに住むナガスネヒコらの強い抵抗にあって、ひどく負かされました。
イワレヒコらは、「私たちは、太陽の神様(アマテラス)の子孫なのに、日の出る方に向かって戦ったのは良くないことだ。まわりこんで、日を背にして(東側から西に向けて)戦おう」と紀伊(きい)の国(現在の和歌山県)に回ります。その時、ナガスネヒコとの戦いで傷を受けた兄のイツセは亡くなります。
紀伊半島を南から回ったイワレヒコたちは熊野(くまの)の山の中をとおって、ナガスネヒコの本拠地である大和(やまと)の国(現在の奈良県)に向かいます。山中で道に迷いそうになりましたが、アマテラスの側近であるタカミムスビが八咫烏(やたがらす)を使わして、大和にたどりつきナガスネヒコを倒して大和を平定しました。
大和を征服したイワレヒコは橿原(かしはら)の宮で即位して初代天皇である「神武天皇」となりました。
神武天皇(イワレヒコ)が西から東に(うつ)ったということで、「神武東遷(じんむとうせん)」と言っています。

解説編集

オオクニヌシに譲られた葦原中国(あしはらのなかつくに)(=日本)を治めるために、アマテラスの子孫が、地上に降臨しやがて天皇家となる伝説です。
ニニギにしたがって降臨した神々の多くは、大和政権の重要な豪族の祖先とされます。たとえば、アメノコヤネは中臣(なかとみ)氏(後の藤原氏)、フトダマは忌部(いんべ)氏(斎部氏)、アメノオシヒは大伴(おおとも)氏の祖先とされます。
アマテラスの周辺やニニギにしたがって天下った神々を天津神(あまつかみ)、オオクニヌシなどもともと土着の神々を国津神(くにつかみ)と言っています。
出雲神話の舞台の出雲は、古代において先進地域でしたが、日向神話の舞台である南九州は当時においても文明的に遅れた地域でした。記紀神話で、ことさらに日向地方との関係を強調しているのは、大和政権の勢力の広さを主張する目的とも言われています。
ワダツミの館の話は、海の中の楽園の物語で、後に、浦島太郎(うらしまたろう)の物語につながります。
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ヤマトタケル神話編集

あらすじ編集

 
ヤマトタケル - 青木繁
第12代景行(けいこう)天皇の皇子であるオウスは、大変利発でしたが、自分の思うとおりにおさえることなく行動するたちがあり、もてあました景行天皇は、各地で天皇に反抗する豪族の討伐にオウスをつかわしました。
まず、南九州の熊襲(くまそ)[7]の征伐に向かわせました。熊襲の国は、クマソタケル兄弟(兄:エタケル、弟:オトタケル)が治めていました。オウスがつくと、大きな屋敷の新築祝いをしていました。オウスは、祝いの娘の姿をして兄弟に近づき、そばによって、まず、エタケルを切り殺しました。オトタケルも殺そうとした時、「殺されるのは仕方ありませんが、私たちは、勇敢な者を『タケル』と呼んでいる。これからは『タケル』と名のってほしい」とおねがいしました。オウスは、それを受けて、そののち「ヤマトタケル」と名乗ることとしました。
タケルは、大和への帰り道、出雲に立ち寄り、反抗的だった豪族イズモタケルを征伐します。
タケルが大和に帰ると、景行天皇は東の豪族を征伐するようにタケルに命じます。タケルは、東へ向かう途中、伊勢神宮斎王(さいおう)[8]である叔母(おば)のヤマトヒメをたずねて、「父は私に死ねと言っているのか」と訴えました。ヤマトヒメは、タケルを慰め、三種の神器の一つである「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」と困ったときに開けるようにと言って袋をわたして送り出しました。
駿河(するが)(現在の静岡県中部)[9]につくと、その地の豪族(国造(くにのみやつこ))にもてなされました。国造に、荒ぶる神がいるので退治してほしいとたのまれたタケルは、荒ぶる神がいるという広い野原に行きました。そうすると、周りからパチパチという音が聞こえます。タケルを焼き殺そうと、国造がまわりに火をはなったのです。困ったタケルは、ヤマトヒメが渡した袋を開けてみました。袋には「火打ち石」がはいっていました。タケルは思いついて、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で周りの草をなぎはらって、つんだ草に火打ち石で火をつけ、火のいきおいを逆にしてそこをのがれ、国造らをほろぼしてしまいました。そこで、その地を「やいづ(焼津、静岡県焼津市)」といいます。また、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)はこのことで、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ぶようになりました。
タケルは、さらに東に向かいます。相模(さがみ)(現在の神奈川県)の横須賀のあたりから、対岸の(ふさ)の国(現在の千葉県)に渡ろうと船に乗りますが、海神が船を沈めようと大きな波をたてます。海神の怒りをしずめようと、タケルの妻のオトタチバナが海に沈むと、波はおさまり、タケルたちは海を渡ることができました。
タケルは、東国一帯の豪族や蝦夷(えみし)[10]を平定し、次に、甲斐(かい)(現在の山梨県)や信濃(しなの)(現在の長野県)の平定に向かいました。
途中で、東国をふりかえり、オトタチバナをなつかしんで、「()(づま)はや(ああ、()(つま)よ)」と、三度なげきました。それから、東国のことを「あづま(あずま)」と呼ぶようになりました。
甲斐・信濃を平定したタケルは、美濃(みの)(現在の岐阜県)と近江(おうみ)(現在の滋賀県)の(さかい)にある伊吹山(いぶきやま)の神を征伐に行きます。しかし、伊吹山の神はタケルに呪いをかけ病気にしてしまいます。弱ったタケルは、大和を目指して帰ろうとしましたが、伊勢(いせ)(現在の三重県)の鈴鹿で亡くなり、そこに埋葬されました。

解説編集

ヤマトタケル神話は、大和朝廷が、日本を統一していく過程を一人の英雄に託した神話です。
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参考編集

  1. ^ 7日を1週間とすることと、そのうちの1日を休息日とすることの起源です。
  2. ^ 「天照」と書きます、太陽の神です。
  3. ^ 「月読」と書きます。「月」や「夜」の神です。「月を読む」ことから、(こよみ)のシンボルでもあります。
  4. ^ 「須佐之男」などの表記があります。「すさのお」の「すさ」は「すさまじい」などに使われる「すさ」で、「暴れ者の男(お)」の意味です。
  5. ^ ただし、「大黒」は元々インドの神様で、後に混同されたとされています。
  6. ^ 神話の話なので、正しいかそうでないかは別として、降臨したのは宮崎県北部、現在の高千穂町付近であると主張する人たちもいます。
  7. ^ 7.0 7.1 「隼人」は8世紀ころまで、現在の鹿児島県一帯で活動した部族です。「熊襲」はその古い表現(6世紀から7世紀にかけて、大和政権に服従する前の呼び名)であろうと言われています。
  8. ^ 伊勢神宮に仕える内親王または女王(天皇の娘)。
  9. ^ 古事記には、相模(さがみ)(現在の神奈川県)とありますが、焼津は静岡県なので日本書紀にしたがいます。別の焼津が相模にあったのか、昔は相模が駿河を含んだのか、単なる間違えだったのかはわかりませんが、8世紀初めの奈良の都からは、どちらも遠い東の国の話だったので正確な話ができなかったのでしょう。
  10. ^ 関東より東に住む、大和朝廷に従わない部族。「征夷大将軍」も参照。