「高等学校日本史B/第一次世界大戦と日本」の版間の差分
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コラム: 軍部大臣現役武官制の欠陥 |
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官僚機構の一種として軍部を解釈してみよう。選抜方法などは軍部と一般の省庁とでは違うが、とりあえず、「軍部 = 官僚機構の一種」として、軍事をあつかう官僚機構の一種として、軍部をとらえてみる。
以下の考察は、仮説であり、学生は暗記する必要は無いし、鵜呑み(うのみ)にしてはならない。
そもそも、明治・大正に現役武官制や文官人用令などを導入した意図はおそらく、政党の暴走をふせぐために、権力を立法府だけでなく行政にも分散するのと同様に、軍部にも権力を与えようとしたのだろう。こうして行政権や軍部の権限を強めて、政党の影響力をうすめることで、政党の暴走をふせごうとしたのだろうと、一部の評論家などには考えられている。▼
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だから、軍部大臣が口をだせるのは軍事だけに限定させよう、という意図で、軍部大臣だけは現役武官でなければならない、と明治大正期には限定していただけだ。▼
もっとも、明治憲法(大日本国帝国憲法)では、天皇に軍の統帥権(とうすいけん)があるので、もし議会と軍が対立したら、いざとなったら天皇に判断してもらおうとでも、もしかしたら明治時代の当時の政治家は考えたのかもしれない。
ところが結果的には、内閣の組閣そのものに軍部の賛同が絶対に必要な制度となってしまい、そのため結果的に軍部以外の省庁すらも軍部の意向に従わざるをえなくなってしまった。こうして、権力の分散どころか、権力が、軍部と議会とに二分化されるという結果になってしまった。そして、政治家には選挙があるので身分が不安定であるが、しかし軍部には選挙がないので、実質的には権力の二分化どころか、軍部への権力集中となってしまった。▼
▲だから、軍部大臣が口をだせるのは軍事だけに限定させよう、という意図で、軍部大臣だけは現役武官でなければならない、と明治大正期には限定していただけだろう。
▲ところが結果的には、昭和10年代の時代のように、内閣の組閣そのものに軍部の賛同が絶対に必要な制度となってしまい、そのため結果的に軍部以外の省庁すらも軍部の意向に従わざるをえなくなってしまった。こうして、権力の分散どころか、権力が、軍部と議会とに二分化されるという結果になってしまった。そして、政治家には選挙があるので身分が不安定であるが、しかし軍部には選挙がないので、実質的には権力の二分化どころか、軍部への権力集中となってしまった。
現役武官制のこのような欠陥のため、軍部の暴走をふせぐような手段が弱まってしまった。
==== 教訓 ====
教訓としては、内閣の組閣の権限は、国政選挙で選ばれた国会議員の代表者である内閣総理大臣だけが組閣できるという、内閣総理大臣の専権事項でなければならない、ということだ。そして、その目的を達するためには、内閣の組閣には、けっして官僚機構や軍部や司法など他機関の承認・許認可などを必要としてはならない、ということだ。
「政治を、みんなで話し合って決めよう」というのは、一見すると、平和的に聞こえるかもしれない。だが
明治大正期の「軍事政策については、軍部とも話し合って、なかよく決めよう」として軍部大臣現役武官制を導入したのが、そもそもの失敗のキッカケであった。
聖徳太子のような「和をもって とうとし となす」という考えは、内閣の組閣に関しては悪事なのである。
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こんにちの日本国憲法では、立法・行政・司法の三権のなかでも、立法だけが残りの2権よりも、やや強いのであるが(※ 高校『政治経済』科目で、このことを習うので、覚えておこう)、そのことには理由があり、おそらくは、過去の軍部大臣現役武官制のような失敗を繰り返さないとするための工夫であ
また、その内閣総理大臣そのものが、もし官僚や軍部などの選挙で選ばれない人物であっては、意味がないから、現在の日本国憲法では「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。」(67条)と規定している。
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この節で見たように、大正時代にも山本権兵衛内閣のように、軍部大臣現役武官制を修正しようという動きがあったのである。しかし、それだけでは、結果的には、のちの軍部の暴走を解決できなかった
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