「中学校社会 歴史/明治日本の国際関係」の版間の差分

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軍歌の話は「範囲外」と明記。
→‎征韓論(せいかんろん): 伊藤博文は、征韓論を支持してなかったと考えられている(東京書籍などの教科書でも、その見解)。
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日本は開国したが、隣国の朝鮮は開国した日本を、欧米の圧力(あつりょく)に負けた格下(かくした)の国の日本とみなし、日本との国交を朝鮮は中止した。
 
日本の政府の中には、アジアの近代化のためには、日本の軍事力を背景にして強引(ごういん)にでも朝鮮を開国させるべき、という<big>'''征韓論'''</big>(せいかんろん)という考えがあり、板垣退助(いたがき たいすけ)や江藤心平(えとう しんぺい)や西郷隆盛(さいごう たかもり)が征韓論を主張していた。
 
また西郷隆盛(さいごう たかもり)が、みずからが交渉役となって、朝鮮と平和に交渉をすることを西郷は提案していた。
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このような経緯から、板垣と西郷と江藤は、政府を去った。
 
* 範囲外?
伊藤博文(いとう ひろふみ)は、征韓論を支持してなかったと考えられている(東京書籍などの教科書でも、その見解)。現代の世間では、明治時代の後半に伊藤が韓国統監(とうかん)に就任したイメージから、ついつい伊藤が征韓論を支持していたかのような珍説が、ネット上などにあるが、しかしそのような言説(伊藤が征韓論を支持してた?という珍説)は事実無根の言説なので、けっして信用しないように。
 
上述のように、むしろ伊藤博文・大隈重信(おおくま しげのぶ)・木戸孝允(きど たかよし)・岩倉具視(いわくら ともみ)は、大久保の主張のような内政優先の路線を支持していただろう、と考えられており、(現代日本の東京書籍などの)検定教科書も その見解である。
 
また、板垣退助について現代人は、自由民権運動などのイメージから、ついつい、現代日本の政治での「リベラル派」などの主張する外交路線の 韓国や北朝鮮との友好重視路線のイメージを かさねがち であり、てっきり、板垣退助が韓国に友好的かというイメージ(もちろん、まちがったイメージである )を いだきがち かもしれない。しかし、むしろ板垣は、征韓論を主張していた中心的人物である。
 
== 士族の反乱 ==