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「高等学校日本史B/平安遷都と政治改革」の版間の差分
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土佐日記の『解由』とのリンク。
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桓武天皇は、国司に対する監督をきびしくするため、'''勘解由使'''(かげゆし)という役人を置きました。
:※ 『[[高等学校国語総合/土佐日記
#門出(かどで)
]]』に出てくる「解由」(げゆ)とは、このカゲユシ関連の書類である。著者の紀貫之(きの つらゆき)は、国司として、取り締まりされる側の立場。くわしくはリンク先で。
== その他 ==