羅馬史略/巻之五/塞撒ガ髙盧ヲ征伐スル事

羅馬史畧 卷之五
塞撒ガ髙盧ヲ征伐スル事

はじめに

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ここに示すのは、紀元前58年にローマの政治家・武将ユリウス・カエサルガリア(現在のフランス・ベルギーなど)の征服戦争(ガリア戦争)を起こした記事である。この記事の後半は、カエサルの盟友クラッススの出来事を記すものだが、こちらは別稿に譲る。

 固有名詞の表記例
  人名
  塞撒セサル [1]カエサル加𡈽カトカトー潘沛ポムペーポンペイウス古拉斯クラッシュスクラッスス
  地名
  髙盧ゴウル [2] →ガリア不列顛ブリテン[3]ブリタンニア非尼西亜フェニシア →フェニキア

原文と修整テキスト

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下表の左欄に原文を、右欄に修整テキストを示す。
修整テキストは、原文をもとにして漢字・仮名づかいなどの表記をより読みやすいように修整したものである。
底本では、固有名詞などに傍線を付しているが、一部を除いて省略した。
赤い文字は、端末の環境(OSやブラウザー)によっては、文字化けするなど、正しい字体で表示されない場合がある。

塞撒ガ髙盧ゴウルヲ征伐スル事
紀元前五十八年ニ起ル
塞撒セサル髙盧ゴウルを征伐する事
紀元前五十八年に起る
塞撒ガ髙盧ニ於ケル政治戰畧ノ記事ハ、其自記スル𫝂ノ一正史アリテ、沿革事歴、䏻ク今世ニ傳ハレリ、 塞撒セサル髙盧ゴウルける政治戦[4][5]の記事は、その自記する所[6]の一正史ありて、沿革事歴、[7]今世こんせに伝[8]われり、[現代語訳 1]
塞撒、初メ此國ヲ征シテ、頗ル困難ナリシガ、終ニ其智勇ヲ以テ、盡ク之ヲ征服シ、羅馬ニ於テハ、其名聲嘖々トシテ、人皆塞撒ヲ驚歎畏敬セリ、 塞撒セサル、初めこの[9]を征して、すこぶる困難なりしが、ついその智勇をもって、ことごとこれを征服し、羅馬ローマおいては、その名声[10]嘖々さくさく[11]として、人皆塞撒セサルを驚嘆[12]畏敬いけいせり、[現代語訳 2]
獨リ會議官ニ𡈽カトナル者アリ、决シテ塞撒ヲ信セズ、其人、性剛毅ニシテ、功名ノ心ヨリハ、國ノ自由ヲ𫝹フノ心、更ニ大ニシテ、塞撒ガ非望ヲ懐クノ志アリテ、今其敵ヲ征服スルノ間ニ當テ、既ニ、他年、自國ヲ脚下ニ壓スルノ機ヲ含メルヲ先見セリ、」 ひと[13]り会[14]議官[15]加土カト[16][17]なる者あり、けっ[18]して塞撒セサルを信ぜず、その人、性剛毅ごうきにして、功名の心よりは、国[9]の自由をおも[19]うの心、さらに大にして、塞撒セサル非望ひぼう[20]なつくの志ありて、今その敵を征服するの間にあたって、すでに、他年、自国[9]を脚下に圧[21]するの機を含[22]める事[23]を先見せり、」[現代語訳 3]
塞撒ガ髙盧統轄ノ任、既ニ五年ヲ期トセル知ルベシ、然レ𪜈其心尚未タ饜足セズ、爰ニ髙盧國ノ海濵ヨリ、海ヲ隔テ、遥ニ不列顛ブリテン今ノ英國ヲ云  海岸ノ白粉石壁ヲ望メリ、因テ、更ニ、其國ヲ遠畧セントスルノ𫝹ヲ决セリ、」 塞撒セサル髙盧ゴウル統轄とうかつの任、すでに五年を期とせる事[23]知るべし、しかれども[24]そのなおいま厭足えんそく[25][26]せず、ここ髙盧ゴウル[9]の海浜[27]より海をへだて、はるか不列顛ブリテン今の英国[9]いう   海岸の白粉石壁を望めり、よって、さらに、その[9]遠略えんりゃく[5][28]せんとするの念[19]けっ[18]せり、」[現代語訳 4]
當時、不列顛國ハ、世人ノ稀ニ知ル𫝂ニシテ、但非尼西亜フェニシア國人ハ、實ニ、早クヨリ、此島ノ西部ニ到リ、其鑛山ヨリ、錫ヲ得ルヲ常トセシガ、其他ハ、絶エテ、内部ニ入テ、之ヲ撿セントセシ者ナシ、又、此島ノ沿海、巖礁多クシテ、近ク可カラズ、其塞撒ガ島中野番ノ風俗ヲ探知セシハ、唯髙盧ノ僧輩ドルイドト唱フル者ヨリ、聞知セル者ナリ、蓋シ、此僧輩ハ、不列顛ノドルイドト教派儀典ヲ同ウスレバナリ、」 [29]時、不列顛ブリテン[9]は、世人のまれに知る所[6]にして、ただし非尼西亜フェニシア[9]人は、実[30]に、早くより、この島の西部にいたり、その[31]山より、すずを得るを常とせしが、その他は、絶えて、内部にいりて、これけん[32]せん[33]とせし者なし、またこの島の沿海、がん[34]しょう多くして、ちかづからず、その塞撒セサル島中しまじゅう 野番やばんの風俗を探知せしは、ただ髙盧ゴウルの僧輩[35]ドルイドとなうる者より、聞知ぶんち[36]せる者なり、けだし、この僧輩は、不列顛ブリテンのドルイドと教派儀典をおなじうすればなり、」[現代語訳 5]
夫レ、塞撒ガ如キ、遠畧ヲ務メテ危難ヲ顧ミザル大将ニ在テハ、前人未ダ曽テ征セザル、斯ル遼遠ナル島國ヲ、先鞭シテ以テ攻畧スルハ、是其功名ノ心ヲ動カスノ最大ナル者ナリ、然レ𪜈、此舉ヲ行ハントスルハ、先ヅ髙盧統轄ノ任期ヲ延ベザル可カラズ、因テ、其友潘沛古拉斯ニ依頼シ、以テ此意㫖ヲ得ント計レリ、」 れ、塞撒セサルごとき、遠略[5][28]を務めて危難を顧みざる大将にありては、前人未だかつて征せざる、かかる遼遠[37]なる島国[9]を、先鞭してもって攻略[5]するは、これその功名の心を動かすの最大なる者なり、しかれども[24]この[38]を行はんとするは、髙盧ゴウル統轄の任期を延べざるからず、よって、その潘沛ポムペー古拉斯クラッシュスに依頼し、もっこの意旨[39][40]を得んと計れり、」[現代語訳 6]
潘沛 古拉斯ハ、此時、國律改革ノ為メニ、並ニ頭領ニ任選セラレ、塞撒ト三人、尚自意ヲ以テ、國事ヲ𠁅决セリ、塞撒ハ、功名征畧ヲ好ムガ故ニ、出テ邉外ノ属部ヲ統轄シ、潘沛ハ、國人ノ属望ヲ欲スルガ故ニ、西班牙イスベニア統轄ノ命アレ𪜈、別ニ代任ヲ送テ、身ハ尚羅馬ニ止リ、務メテ人心ヲ取リ、且親シク國ノ變遷ヲ窺ハントシ、又、古拉斯ハ其心唯貨殖ニ在ルヲ以テ、出テ西里亜シーリアヲ管轄シ、収斂以テ巨多ノ財貨ヲ得ント計レリ○ 潘沛ポムペー古拉斯クラッシュスは、この時、国[9]律改革のめに、ならび頭領とうりょうに任選せられ、塞撒セサルと三人、なお自意じいもって、国[9]事を処[41][18]せり、塞撒セサルは、功名こうみょう征略せいりゃく[5]を好むがゆえに、いでて辺[42]外の属部を統轄し、潘沛ポムペーは、国[9]人の属望しょくぼう[43]を欲するがゆえに、西班牙イスベニア統轄のめいあれども[24]、別に代任をおくって、身はなお羅馬ローマとどまり、務めて人心を取り、かつ親しく国[9]の変[44]遷をうかがわんとし、古拉斯クラッシュスそのただ貨殖かしょく[45]るをもって、いで西里亜シーリアを管轄し、収斂しゅうれん[46]もっ巨多こた[47]の財貨を得んとはかれり○[現代語訳 7]
塞撒不列顛ヲ進略スル事(カエサルがブリタンニアを進略する事)に続く


現代語訳

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  1. ^ カエサルのガリアにおける統治および(諸部族と続けた)戦争の記録は、カエサル自身が書き残したものがあり、起こった出来事について非常に正確に記した歴史書であり、今の時代によく伝わっている。
  2. ^ カエサルは、当初この国(ガリア)を征服するために大変な苦労をしたが、ついには彼の知略と武勇をもって、ガリアをことごとく征服した。彼はローマにおいて盛んな名声を得て、人々は皆、カエサルに驚嘆し畏れ敬った。
  3. ^ ただひとり、元老院議員にカトーという人がおり、決してカエサルを信頼しようとはしなかった。カトーの気質は厳格で、功名心よりも祖国の自由を想う気持ちの方がはるかに大きかった。カエサルが大それた野望を抱いて、今(ガリア人という)敵を征服している時期において、いずれは自国(ローマ)を服従させる機会をうかがうだろうと、すでに予見していたのである。
  4. ^ カエサルのガリア統治の任期が5年間続くことは、周知のことである。しかしながら、これでもなお彼を満足させることはできなかった。カエサルは、ガリアの海岸から海を隔てて遥かにブリタンニア(現在のイギリス)海岸の白亜の石壁を望見した。そういうわけで、カエサルはさらにその国(ブリタンニア)を攻め取ってしまおうと心に決めたのだ。
  5. ^ その当時、ブリタンニアは、世の人々にはあまり知られていない国であった。だがしかし、フェニキア国人は、早くからこの島の西部に到達して、そこの鉱山からすずを採取することを習わしとしていた。そのほかには、島の内陸に入って探検しようとする者はいなかった。また、この島の沿岸は、岩礁だらけで近づくことが難しかった。カエサルが島内の野蛮人の風俗を知ることができたのは、ガリアのドルイドという祭司から聞き知ったのだが、思うに、この祭司はブリタンニアのドルイドと宗派や宗教儀礼を同じくするからである。
  6. ^ カエサルのように(他国を)攻め取ることに取り組み、危険を顧みない将軍にとって、未だ先人によって征服されたことのない、このような遥かに遠い島国を他に先んじて攻略することは、このうえなく功名心に駆られることであった。しかしながら、この企てを行なうためには、まずガリア統治の任期を延長しなければならなかった。そういうわけで、盟友であるポンペーイウスクラッススに依頼して、この意図を実現しようとした。
  7. ^ ポンペーイウスクラッススはこの時、国家の法律を改革するために、ともに執政官コーンスルに選ばれて任じられていた。カエサルを含めた三人は、依然として、その意のままに国政を処決していた。
    カエサルは、戦場での名誉や、武力で討ち平らげることを好むゆえに、(ローマ本国から離れた)辺境の属領を統治した。
    ポンペーイウスは、(ローマ)国民の期待を欲しているがゆえに、(前年の執政官として属州)ヒスパーニアを統治する総督に任命されていたけれども、自分の代わりに代理を派遣して、(ポンペーイウス)自身は依然としてローマに留まって、人心を掌握することに努めて、かつ自ら国の成り行きを見ていようとした。
    クラッススは、ただ資産を殖やすことのみ考えており、(属州)シュリアを統治するために(総督として)赴いて、租税を取り立てて莫大な金銭や財物を獲得しようともくろんでいた。

脚注

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  1. ^ 「カエサル」は現代中国語(繁体字)では「凱撒」と表記される。
  2. ^ 英語の Gaul の仮名読み。「ガリア」は現代中国語(繁体字)でも「高盧」と表記される。
  3. ^ 不列顛 は漢語。
  4. ^ 戰→戦:旧字体→新字体の書き換え。
  5. ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 畧→略:異体字の書き換え。
  6. ^ 6.0 6.1 𫝂( )𫝂は「所」の俗字なので、書き換えた。
  7. ^ 底本では「」に近い字体を用いており、「能」の異体字なので書き換えた。
  8. ^ 傳→伝:旧字体→新字体の書き換え。
  9. ^ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 9.11 9.12 國→国:旧字体→新字体の書き換え。
  10. ^ 聲→声:旧字体→新字体の書き換え。
  11. ^ 嘖々さくさく」:口々に言いはやし、盛んにほめたてること。コトバンクなどを参照。
  12. ^ 」を同音・同義の「」に書き換えた。
  13. ^ 獨→独:旧字体→新字体の書き換え。
  14. ^ 會→会:旧字体→新字体の書き換え。
  15. ^ 「会議官」は、元老院の議員のこと。
  16. ^ 𡈽」は「」の異体字なので、書き換えた。
  17. ^ 加土カト」は、元老院議員でカエサルの政敵であった「小カトー」ことマールクス・ポルキウス・カトー(・ウティケーンシス)のこと。
  18. ^ 18.0 18.1 18.2 」は「」の異体字なので、書き換えた。
  19. ^ 19.0 19.1 𫝹𫝹は「念」の異体字(俗字)なので、書き換えた。
  20. ^ 「非望」とは、身分不相応の大それたことを望むこと、また、その望み。コトバンク等を参照せよ。
  21. ^ →圧:旧字体→新字体の書き換え。
  22. ^ 「含」は原文では俗字を用いているが(新撰漢字訳解.巻之2 の79コマ、または 大全数字引 : 以呂波分 の40コマ右頁、等を参照)コンピューターで表示できないため「含」を用いた。
  23. ^ 23.0 23.1 :「」は「事(こと)」を表わす特殊な仮名文字なので「事」と書き換えた。
  24. ^ 24.0 24.1 24.2 𪜈( )𪜈は「とも」を表わす合略仮名なので、「とも」または「ども」と書き換えた。
  25. ^ 」 は異体字  で書き換えた。
  26. ^ 饜足(厭足) とは、「欲望が満たされて、満足すること」コトバンクなどを参照。
  27. ^ は異体字の「浜」に書き換えた。
  28. ^ 28.0 28.1 遠略えんりゃく」:遠い国を攻め取るはかりごと。コトバンクなどを参照。
  29. ^ 當→当:旧字体→新字体の書き換え。
  30. ^ 實→実:旧字体→新字体の書き換え。
  31. ^ 鑛→鉱:旧字体→新字体の書き換え。
  32. ^ 」を同音・同義で新字体の「」に書き換えた。
  33. ^ 検する」は「しらべる、検査する」
  34. ^ 巖(巌)」を俗字の「」に書き換えた。
  35. ^ 「僧輩」は僧侶、聖職者の古い漢語的表現。英語 priest の和訳。
  36. ^ 「聞知」は「聞き及んでいること」聞知とは - コトバンク
  37. ^ 遼遠は、「はるかに遠いこと」
  38. ^ :「」→挙:旧字体→新字体の書き換え。
  39. ^ →旨:異体字の書き換え。
  40. ^ 「意旨」は、「意図」に同じ。
  41. ^ 底本は 𠁅𠁅 に近いの俗字を用いている。新字体の「」に書き換えた。
  42. ^ の俗字。新字体の「」に書き換えた。
  43. ^ 「属望」は「嘱望」に同じで、「期待すること」[1]
  44. ^ →変:旧字体→新字体の書き換え。
  45. ^ 「貨殖」は「資産をふやすこと、利殖」[2]
  46. ^ 「収斂」はここでは「租税を取り立てること」[3]
  47. ^ 「巨多」(きょた・こた)は「たくさんあること」[4]

関連項目

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外部リンク

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