高等学校公共/私達の人生と社会

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人間とは何か? 編集

 
人間とは?

私達は、他の生き物と同じように命があり、今も生きています。どんな人種や民族であっても、みんなの心はひとつです。だからこそ、私達は人間です。このぼんやりとした考えを、人々は古くから語ってきました。キケロはこれをラテン語でフマニタスと呼びました。人間はこうでなければならないといった考え方(人間性)は、時代によって変わります。古代ギリシアでは頭がよくて論理的だと思われていました。中世のヨーロッパでキリスト教が流行した時、民衆は自分の罪から目を離し、神への信仰を求めようとしました。近代になると、ルネサンスに代表されるように、感情的・感覚的な側面に目を向けました。現代では科学・制度・組織の発達に伴って、人間性の低下が語られるようになりました。

人間が人間らしく生きるにはどうしたらいいのでしょうか。誰かがアイデアや哲学を思いつく時、それはその人が人間をどう見ているかに基づいています。したがって、哲学者の数だけ、様々な人間観があると言えるでしょう。人間観とは、ある人が他の人をどう見るか、どう考えるかという考え方です。例えば、人間は基本的に善人だと考えると、中国の孔子や孟子のような道徳哲学を思いつくでしょう。一方、人間は生まれつき悪人だと考えると、孔子や孟子のような法治主義的な考え方になるでしょう。

他者との関係 編集

私達は日常生活の中で、人間とは何かという問いをあまり深く考えないでしょう。この問いを深く考えるのは、他の人との関係、言い換えると他者との関係で何かが起こった場合がほとんどでしょう。

私達の悩みや不安の多くは、他者との関係から来ています。家族・友人・恋人との関係や学校での成績、将来の進路などに関して、人間は、他の人がどのように社会で生きていくのかを知ると、心配になります。また、人から好かれたいという思いが、スポーツが苦手、自分の容姿に自信がないといった劣等感につながります。

様々な人間観 編集

様々な人間観 編集

私達はどのように生きれば、自分の人生に意味があるのでしょうか。和辻哲郎は、『人間学としての倫理学』の中で、「人間」という言葉の意味には、「1人の人間」や「人と人との間柄(対人関係)」が含まれていると指摘しています。和辻哲郎が言うように、昔の中国では「人間」という言葉は、世界や社会を意味していました。例えば、儒教の荀子は、人間は弱く、爪や翼がなくても、知恵を使い、集団で生活する傾向があるので、他の動物を支配出来ると言っています。また、社会秩序を維持するための方法として、礼儀作法がいかに大切かを語っています。

ブレーズ・パスカルは著書『ペンセー(瞑想録)』の中で、「人間はただの葦なので、自然の中で最も弱い単茎の植物です。それでも、それは考える葦となります。」と記しています。つまり、思考が人間として最も重要な部分と言っていました。

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、「人間は元々ポリスのような動物(社会的動物)です。」と言いました。彼がこの言葉を残したのは、人間の中でポリスを作り出している部分に重点を置いていたからです。ギリシアでは、ポリスとそこに住む人間は同じでした。各人の仕事の最終目標は、ポリスの目標達成に役立っていました。人間は家族・地域・国に生まれ、人間としての振る舞いを学んで、社会的に認められる人間になります。人間はギリシアの神々が持っていた火を取り、ユダヤ教やキリスト教の神々が禁じていた知恵の実を食べました。これは、人間とは何かを表していると言われています。

 人間が他人と関わり、影響を与えながら、その社会に適合した行動や経験のパターンを形成していく過程を社会化といいます。社会化では、社会のルール、規範、考え方を、当たり前で議論の対象外として受け入れていきます(規範の内面化)。しかし、人間はただ社会に合わせるだけではありません。一人一人が自分の能力や個性に合わせて、積極的に環境を変えていかなければなりません(個性化)。

昔から、人間は知恵を絞って集団で生活してきました。その特徴は、人間らしさです。人間として仲間と一緒に生きていくためには、一人一人が心身ともに成長しなければなりません。あなたは今、成長のためのとても大切な時期を迎えています。人間が長い歴史の中で身につけてきた社会的な技能や知識を身につけ、さらに新しい技能や知識を身につける時期といえます。

人間の定義 編集

ホモ・サピエンス(理性人)とは、ラテン語で「賢い人」「利口な人」を意味します。私達の祖先である現在の人類に付けられた学問上の名称です。スウェーデンの生物学者カール・フォン・リンネが命名しました。他の動物と比較して、人間は論理的に物事を考えられます。古代ギリシアでは、理性を使って真理を見抜く方法として、物事を客観的に見るテオーリア(観想)の精神が重視されました。

ホモ・ファーベル(工作人)とは、ラテン語で「作る人」「働く人」という意味です。道具を作って使えるのは自分だけなので、他の動物とは違うという考え方です。ホモ=サピエンスは静的な人間観を持っていました。これに対して、ホモ・ファーベル(工作人)は近代を動かす動的な人間観です。言い換えると、人間が住む自然界は、神が作ったのではありません。そうではなくて、フランシス・ベーコンの『知識は力なり』にあるように、人間が自然界に異論を唱え、人間に都合のよいように変えようとした人間観です。

オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガは、遊びやゲームに価値を見出す人間観をホモ・ルーデンス(遊戯人)という言葉で表現しました。遊びの特徴として、自由な行動、日常生活との違い、物質的な興味と関係ない点を取り上げ、遊びと文化の関係について説明しました。

人間が他の動物と違うのは、言葉を話して、その意味が分かるからです。ドイツの哲学者エルンスト・カッシーラーは、「人間は記号化された動物(言葉を操る生物)」と言いました。言い換えると、動物の言葉とは違って、人間の言葉は記号的な働きをしているため、色々表現出来ます。これは、人間の文化が時代とともに変化した大きな理由です。

ホモ・レリギオースス(宗教者)は、中世の西ヨーロッパで、人間についての中心的な考え方です。人間は精神性と肉体性、原罪と救済の間で苦しんでおり、人間の本質的な性質は肉体的な望みを打ち消し、神の世界へ向かう信仰心と考えています。

「野生児」とは、人間の社会や文化から離れて育った子供達をいいます。その代表例が、狼に育てられたアマラ(推定8歳)とカマラ(推定1歳半)です。1920年、イギリスの宣教師がインドの都市ミドナプールにある狼の洞窟で二人を発見しました。最初は狼のように行動していました。二足歩行も出来ず、小さな音にも怖がっていました。カマラは1年後に亡くなりましたが、アマラはさらに9年間生き続け、徐々に人間の能力を身につけていきました。16~17歳になっても、まだ普通の3~4歳児くらいの知能しかありませんでした。しかし、今では本当かどうか疑う人もいます。

資料出所 編集

  • 第一学習社『高等学校 改訂版 倫理』2023年
  • 第一学習社『テオーリア 最新倫理資料集』
  • 清水書院『用語集 公共+政治・経済 23~24年版』2022年