高等学校歴史総合/もっと知りたい グローバリゼーションとストリートダンス

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 ストリートダンスは、どこでも踊れる路上ダンスの1つです。ストリートダンスは、バレエやダンスホールでの社交ダンスのように、ルールがあって、観客に見せるための踊りではありません。その代わり、ストリートダンスは自由に自分を表現出来ます。

ストリートダンスの始まり アメリカ合衆国 編集

 日本のダンスは、ストリートダンスと呼ばれています。ストリートダンスの起源は、1920年代のアメリカでジャズに合わせて踊るスイングダンスにあると言われています。ジャズ音楽を考え出したのはアフリカ系アメリカ人です。第二次世界大戦をはさんで、1960年代、アメリカで公民権運動が高まり、白人のアフリカ系アメリカ人に対する感じ方が変わり始めました。その頃、新しいタイプのソウルダンスが生まれました。ソウルダンスは、シカゴにある黒人向けの番組「Soul Train」で、ソウル・ミュージックに合わせて行われました。この番組がきっかけで、ロッキング、ポッピング、ワックなどのスタイルが一気に広まりました。

 一方、ヒップホップ文化は、1970年代に、アフリカ系アメリカ人が自己表現するための手段として始まりました。当時、ニューヨークに住み、貧困や暴力に苦しみながらも十分な権利を持てませんでした。ブレイクダンスはこの対抗文化の一つとして生まれました。西海岸のストリートダンスと混ざり合い、現在のストリートダンスと呼ばれる形になったと考えられています。

日本での受け入れ、発展 編集

 1983年、映画「フラッシュダンス」は日本で公開されました。映画「フラッシュダンス」では、ストリートダンスを世に広めました。ブレイクダンスの場面は短くても、若い人にはとても興味を持ってもらえました。そして、1983年の映画「ワイルド・スタイル」の宣伝で来日したダンサーが各地で踊り、あっという間に広まりました。若者は、ブレイクダンスに興味を持ちました。ビデオデッキで繰り返し観て、踊り方を覚えました。当時、原宿の歩行者天国では、ラジカセから流れる大音量の音楽に合わせて、若者達が踊っていました。踊るには音楽が必要なので、昔はホールのような生バンドやレコードがかけられる場所で聴いていました。しかし、ラジカセが登場すると、路上がダンス場に変わりました。

 1990年代になると、民放のバラエティ番組内のコーナーで「ダンス甲子園」が始まりました。過去の反文化的な雰囲気を取り除き、より健やかな印象になりました。安室奈美恵のように踊りも歌も出来る歌手が次々と出てきて、みんなダンスに馴染んでいきました。

 2000年代に入ると、ストリートダンスを教える学校が次々と開校され、子供達が学校でダンスを習うようになりました。スマートフォンが2010年代に流行すると、動画アプリなどで自分のダンスを紹介したり、他の人のダンスを参考にしたりしやすくなりました。

グローバリゼーションとダンスの広がり 編集

 ストリートダンスはアフリカ系アメリカ人の文化に反発する形で始まりました。現在、日本でも若者から中高年までが楽しみながら健康づくりに取り組んでいます。動画アプリを利用して、世界中のダンサーを見たり真似したり出来るのは一見素晴らしくても、一方で、ダンスをより均一化させてしまいました。でも、そのおかげで、世界中のどこでも同じステップや振り付けが出来るようになり、ダンスの標準化が進みました。あなたはどんなダンスを踊りたいですか?