高等学校歴史総合/もっと知りたい ペストと感染症

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近代におけるペストの流行

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相関関係(ペストの報告例と動物のペスト発生検出)

 感染症は古くから人々の悩みの種でしたが、現在でもその悩みは続いています。例えば、14世紀にヨーロッパで起こった黒死病は、そのほとんどがペストによって引き起こされたと考えられています。これは人口が減少するなど社会的な影響を与えました。ペストで病気になるのは、ペスト菌です。ペストは元々鼠などの動物の病気でした。保菌動物の血を吸った蚤が天にたかると広がります。主にリンパ腺に感染する腺ペストが悪化して肺ペストになると、飛沫によって人から人へと広がり、大流行になります。

 近代でも、ペストは大きな問題となっています。18世紀後半、清朝の時代に中国の人口が急増し、経済が発展すると、多くの漢民族が雲南省に移り住み、そこでペストが発生しました。鉱山が建設され、山間部が開墾されたため、ペスト菌を保有する野生の鼠と接触する機会が多くなりました。これがペストの流行の始まりと考えられています。

 アヘン戦争後、中国社会が混乱していた19世紀半ば、雲南に住み、役人から不当な扱いを受けていたイスラム教徒や少数民族が立ち上がりました。ペストは雲南全域に広がり、19世紀末には国際貿易港となっていた香港に到達しました。そこから東は中国の沿岸部、台湾、日本、ハワイ、北アメリカへ、西は東南アジアからインド、アフリカへと移動しながら、世界的流行を引き起こしました。

 1894年にペストが発生した香港では、ペスト菌の発見者をめぐって争いが起こりました。ドイツの細菌学者ロベルト・コッホから細菌について学んでいた北里柴三郎とフランスのバストゥール研究所から派遣されたアレクサンドル・イェルサンです。この細菌はアレクサンドル・イェルサンが発見したので、彼の名前にちなんで名付けられました。

医療、衛生と植民地支配

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関東軍防疫給水部

ペストのような伝染病を防ぐことを目的に、欧米諸国や日本では近代的な衛生設備が整備されました。帝国主義の時代には、植民地にもこのような衛生設備が導入され、文明の力で民衆を救ったと賞賛される一方で、これが植民地政策の正当化にも利用されました。例えば、1895年に台湾(当時、日本の植民地)でペストが流行し、2万人以上の死者が出ました。この際、台湾総督府は感染者を隔離し、警察官による監視を強化するなどの対策を実施しました。これらの衛生対策は、国民の安全を守る名目で行われましたが、実際には為政者が人々の生活や文化に対する管理を強化する手段ともなりました。

また、日本が中国を侵略すると、関東軍防疫給水部(通称:731部隊)が満州に設置され、ペスト菌などの病原体を兵器として利用できるかどうかの研究が行われました。スパイ容疑などで逮捕された人々を秘密裏に感染させ、その後解剖するという非人道的な実験も行われました。1940年代には、731部隊が製造した細菌兵器が中国の湖南省などで使用され、多くの住民に深刻な被害を与えました。しかし、戦後の冷戦体制の中で、731部隊のメンバーに対する戦争犯罪はほとんど追及されず、責任を問われることはありませんでした。