高等学校歴史総合/もっと知りたい 琉球と蝦夷地

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江戸幕府は特定の大名に任せて、琉球諸島と蝦夷地を治めるようにしました。琉球王国は薩摩藩の島津大名に任せました。一方、蝦夷地は松前藩に任せました。なお、薩摩藩と松前藩は担当地域の貿易を独占しつつ、財政も潤いました。

琉球王国の併合過程

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琉球王国は、薩摩藩と清国の両方と関係を持っていました。国家は1つの主権しか現代の国際法で持てません。一方、当時の東アジアは朝貢制度から複数の他国と関係を持てました。琉球王国はアメリカ・フランスなどとも条約を結べました。これは、琉球王国が独立国家として海外に認められていたからです。しかし、日本政府が明治時代に琉球王国を沖縄県として日本に組み入れました。最初は琉球王国の伝統と習慣を大切にしていました。時代とともに、日本の文化に合わせるように琉球王国に指示しました。現代の国際基準で考えると、現地の意見があまり尊重されていません。琉球王国の歴史から、国の独立や文化の尊重がいかに大切かを学べます。

アイヌ民族の権利喪失

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幕末になると、日露関係の悪化から不安になり、蝦夷地を治めるようになりました。明治時代になると、アイヌ人は日本人の平民になりました。そして、現地のアイヌ人を日本人に変えようとしました。その結果、アイヌ文化を大事にされなくなりました。日本とロシアが1875年に領土条約を結ぶと、同じアイヌ人も離れ離れになります。国境が変わり、アイヌ人も現地から新しい地域に引っ越すようになりました。そのため、病気もはやり、アイヌ人が益々少なくなりました。このように、当時の日本は国を守るとか領土を守るとか伝えながら、アイヌ人の権利を無くしています。