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 1980年代、社会主義陣営は行き詰まりを見せました。この問題を解決するための改革が進められ、アメリカとソ連は急速に仲直りして、ついに冷戦は終わったと言われるようになりました。冷戦の終結は、お互いの関係をどのように変えていったのでしょうか。

社会主義世界の変容

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 社会主義圏では、中国がソ連の平和共存政策に反対していました。1960年代以降、中国とソ連軍は戦争状態になりました。東欧諸国のソ連離れも進みました。1968年、チェコスロヴァキアで大規模な自由化・民主化運動「プラハの春」が起こりました。その際、ソ連はワルシャワ条約機構軍を送り込み、自由化・民主化運動を鎮圧して国際的な信用を失いました。その後、アメリカとソ連の間に緊張が薄れました。しかし、翌年ソ連軍がアフガニスタンに侵攻します。この時、アメリカを含む西側諸国は、1978年にアフガニスタンに樹立された左翼政権の支持を口実に対抗しました。これが新冷戦の始まりです。

冷戦の終結とソ連の崩壊

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 当時、ソ連の経済は成長せず、産業構造の転換も遅れていました。1985年、ミハイル・ゴルバチョフ書記長は、この状況から抜け出すために、情報公開(グラスノスチ)と民主化を促す通称ペレストロイカ(改革)政策を始めました。新思考外交・アフガニスタンからの撤退・核抑止論の否定などの結果、アメリカとソ連の関係は一気に改善しました。こうしたソ連の動きに対抗して、東欧諸国も民主化に動き始めました(東欧革命)。東欧革命によって、共産党の一党支配を終わらせました。1989年、東欧革命中に、冷戦の象徴(ベルリンの壁)が壊されました。マルタ会談で、アメリカとソ連の首脳が冷戦終結を宣言しました。1990年、ドイツは再統一しました。

 ソ連では、ペレストロイカの成果で、民族主義が高まり、政権交代まで叫ばれるようになり、保守派がクーデタを起こしましたが、失敗しました。ボリス・エリツィンら改革派は、1991年12月、独立国家共同体(CIS)を発足させました。独立国家共同体(CIS)は、ロシアを含む11の共和国で成り立っています。ソ連は69年目になり、崩壊へ向かいました。

冷戦後の地域紛争と日本

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 冷戦末期頃、世界各地で冷戦時代に中断していた紛争が発生しました。イラクが中東の軍事大国化したのも、1980年に始まったイラン・イラク戦争で、イランに反発していたソ連や西側諸国がイラクに味方したからです。1990年、イラクがクウェートを攻撃した時、アメリカ・イギリス・サウジアラビアなど各国の軍隊がイラクに攻撃を仕掛けました(湾岸戦争)。日本は国際軍に資金を提供しましたが、海外から「後手」と批判されました。この戦争は、冷戦終結後のアメリカ中心の世界秩序を印象付ける結果となり、冷戦終結後の国際社会で国際貢献のあり方について日本国内でも論議が始まりました。