高等学校歴史総合/列強による帝国主義
小学校・中学校・高等学校の学習>高等学校の学習>高等学校地理歴史>高等学校歴史総合>列強による帝国主義
帝国主義は19世紀後半から20世紀前半にかけて盛んになりました。この間、列強は植民地として、世界人口のほぼ3分の1が暮らす広大な土地を手に入れました。帝国主義は、世界の仕組みをどのように変えたのでしょうか。
第2次産業革命と帝国主義
編集1870年頃、ヨーロッパと北アメリカで「石油と電気」が中心になりました。このため、技術革新が進展しました(第二次産業革命)。工業化が進むと、大企業が発展して、資本の独占が強くなりました(独占資本主義)。新しい産業が成り立つためには、大きな機械と多くの資金が必要でした。そのために、少数の大企業は、企業連合(カルテル)や企業合同(トラスト)を作りました。また、銀行の力を借りたり、主要産業を買収したりして、お互いの利益に気配りするようになりました。特に、ドイツとアメリカは急成長を遂げて、イギリスは重工業の分野でアメリカに追い抜かれつつありました。こうした技術進歩に対応して、欧米列強は、原料の調達・商品市場の拡大・資本投下を行いました。さらに、植民地や勢力圏を拡大するために、積極的に海外進出を行いました。帝国主義とは、欧米列強が他国を支配しようとする姿勢をいいます。1873年から1896年まで、ヨーロッパは大不況に見舞われました。その原因として、アメリカから安い穀物が大量に流入してきたためです。その結果、経済不況から抜け出すために、外国と貿易を拡大する政策が加速されました。
欧米諸国の帝国主義政策
編集イギリスは、すでに「大英帝国」という名称で世界中に植民地を持っていました。世界一の強国としての地位を維持するために、イギリスは本国と植民地の結びつきを強めようとしました。1877年になると、インド帝国が設立され、ヴィクトリア女王が統治するようになりました。また、植民地大臣ジョセフ・チェンバレンの時代に、帝国主義政策を進めて、アフリカやアジアに進出しました。
アメリカは、巨大な国内市場と多くの移民労働者によって、世界一の工業国となりました。1889年、パン・アメリカ会議を開催しました。これは、アメリカ大陸の国々の関係を改善する目的で、ラテンアメリカ諸国をアメリカ政府の支配下に置きました。また、カリブ海や太平洋にも進出しました。1898年、米西(アメリカ・スペイン)戦争に勝利し、フィリピン・グアム・ハワイを併合しました。
オットー・フォン・ビスマルクがドイツを離れると、皇帝ヴィルヘルム2世は、世界を分割する「世界政策」を始めました。海軍の増強・バグダード鉄道の敷設権獲得などを行い、イギリス・フランス・ロシアなどと対立しました。
フランスは、国内の政治が不安定なので、国内問題を解消するためにアジアやアフリカの植民地拡張を進めました。フランスとイギリスは、アフリカや東南アジアの植民地化について違う考えを持っていました。しかし、20世紀に入って、ドイツの進出を恐れたため、英仏協商を結びました。
ロシアでは、1890年代にフランスなどが資金を送ったため、工業化が進みました。しかし、国民の生活水準は低く、皇帝の支配下にあるため国内市場も小規模でした。そこで、海外市場の必要性が高まり、1891年、極東地域への進出を目的にシベリア鉄道が建設されました。そのため、日本と対立するようになり、日露戦争を引き起こしました。
こうした列強間の分割競争は、世界各地で戦争を引き起こすようになり、第一次世界大戦へ発展しました。