高等学校歴史総合/大衆社会の形成

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大衆社会の出現

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新しい楽しみ方が19世紀の産業革命に生まれました。1851年、トマス・クックがパック旅行を始めました。その結果、一般の人も気軽に旅行を楽しめるようになりました。第2次産業革命の時期になると、新しい技術が数多く生まれ、都市も賑やかになりました。また、学校教育が広がり一般の人でも学校に通えるようになりました。こうして、人々の生活も少しずつ豊かになりました。豊かな生活になると、スポーツ・音楽・演劇が流行るようになりました(大衆文化)。このような楽しみ方は新聞・映画・ラジオを通して瞬く間に広がりました。

民衆はラジオと新聞の情報に影響されるので、他の人と同じような考え方に近づきやすくなります。また、民衆は政治にあまり興味を持とうとしません。しかし、上手に情報を伝えると、それが本当かどうか分からないまま、民衆が「そうなのかな?」と思うかもしれません。その結果、間違った方向に進んでしまうかもしれません。

アメリカ合衆国 1920年代の光と影

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第一次世界大戦の頃、アメリカはかなり大きく変わりました。アメリカがヨーロッパ諸国に武器とお金を渡したので、裕福になりました。世界経済の中心地もイギリスのロンドンからアメリカのニューヨークに移リました。1920年代、工場で自動車と電化製品を数多く作れるようになると、自動車と電化製品が一般の人でも買えるようになりました。その結果、便利な生活が出来るようになり、一般の人も豊かになりました。そして、新しい楽しみ方がアメリカ国内に広がりました(黄金の20年代)。映画・野球を見に行ったり、ラジオ・ジャズを聴いたり出来るようになりました。しかし、外国人と黒人と社会主義者はアメリカ人から差別されました。特に、中国人と日本人はアメリカの入国を法律で制限されました。

日本の大衆社会

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1923年、関東大震災が起きました。その後、新しい街づくりが始まると、東京周辺も新しく生まれ変わりました。また、地方も東京周辺の都市に少しずつ近づくようになりました。1925年、東京と大阪でラジオ放送が始まりました。やがて、ラジオ放送が全国に広がりました。この時期、映画・雑誌も全国に広がったので、人々の楽しみ方が増えました。新しいメディアが増えていくにつれて、人々も「こんな暮らしが出来たらいいな」とか「世の中はこれからどのように変わっていくのかな」とわくわくするようになりました。さらに、学校が増えると、受験生も増えました。