高等学校歴史総合/戦後世界の新たな枠組み

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戦後構想と大戦の終結

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連合国は、第二次世界大戦の途中から戦後の世界をどうするかを話し合っていました。1941年、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が大西洋憲章を作りました。大西洋憲章は連合国共同宣言の土台になりました。その後、アメリカ・イギリス・ソビエト連邦の代表者がソビエト連邦のヤルタで集まりました(ヤルタ会談)。

連合軍はフランスのノルマンディーに上陸して、アドルフ・ヒトラーを追いつめました。1945年4月、アドルフ・ヒトラーは自殺しました。その後、ソビエト連邦の軍隊がベルリンを占領しました。占領後、第二次世界大戦の負けを認めました。第二次世界大戦後、ドイツのニュルンベルクで敗戦国の戦争指導者を裁きました。

冷戦の開始とドイツの分断

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第二次世界大戦が終わりそうな時からアメリカとソビエト連邦の蟠りも始まりました。アメリカは、ヨーロッパ諸国が社会主義の国になるのを心配して、武器を提供したり、ヨーロッパ全体の経済を立て直すのを手伝ったりしました。一方、ソビエト連邦もアメリカに負けないように共産党の繋がりを強くして、お互いに助け合えるような経済の仕組みを作りました。こうして、アメリカもソビエト連邦も、自分の味方を増やしながら、お互いに睨み合いました。

第二次世界大戦後、戦勝国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)が敗戦国ドイツの領土を分けました。その後、アメリカは新しい通貨制度を始めようとしました。これに対して、ソ連は怒ってベルリンを完全に切り離そうとしました。こうして、ドイツは資本主義の西欧諸国と社会主義の東欧諸国に分かれてしまいました。資本主義の西欧諸国は北大西洋条約機構(NATO)を作りました。一方、社会主義の東欧諸国もワルシャワ条約機構を作りました。その後もこのような対立関係(冷戦)が長く続きました。

国際連合の成立

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第二次世界大戦が終わると、世界の平和を守るために国際連合を作りました。国際連合は世界の様々な問題について、みんなで話し合って解決しました。この話し合いをして、国家と国家の対立を防いでいます。また、お金の仕組みを整えるために、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)も作られました。国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)は国家同士の貿易を簡単にやりやすくするために手助けしました。しかし、世界各国はアメリカのお金に頼らないといけなくなりました。