高等学校歴史総合/第二次世界大戦
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ドイツの拡大
編集ドイツは第一次世界大戦で負けると、かなり厳しい約束(ヴェルサイユ条約)を結ばれました。しかし、ドイツはヴェルサイユ条約を破ろうとしました。だから、最初に国際連盟で「ドイツはもう国際連盟に参加しません。」と加盟国に伝えて抜けました。その後、軍隊を強くしました。ヨーロッパ諸国と「平和に暮らしていきましょう。」と約束していたのに、その約束を破ってから周辺諸国に攻めました。しかし、加盟国はそのようなドイツをもう止められません。また、イタリアもドイツと同じような考え方になり、エチオピアを攻めるようになりました。こうして、ドイツとイタリアはお互い協力するようになりました。この影響でスペインでも内乱が起きました。ドイツとイタリアは反民主主義者を応援しました。一方、イギリスとフランスは何もしていないので、スペインの民主政権は幕を閉じてしまいました。
イギリスとフランスはアドルフ・ヒトラーの暴走を止め切れません。むしろ、アドルフ・ヒトラーが領土を広げても、戦争を避けたいと思っていました。そこで、イギリスとフランスはドイツと話し合いをしました。その結果、アドルフ・トラーの要求を受け入れてしまいました(宥和政策)。
第二次世界大戦
編集1930年代後半、日本・ドイツ・イタリアの3か国が「共産主義に反対する。」と言って手を組みました。その後、ドイツのアドルフ・ヒトラーがミュンヘン会談の約束を破って、チェコスロヴァキアを勝手に治めました。また、独ソ不可侵条約を結んでポーランドを攻撃しました。イギリスとフランスがとても心配になり、「もう武力で止めるしかありません」とドイツに伝えました。そうして、再び世界は大きな戦争に巻き込まれました(第二次世界大戦)。この混乱に乗じて、ソ連のスターリンもポーランド東部・フィンランド、バルト三国を次々と自国の領土にしました。
やがて、ドイツ軍はフランスの首都パリまで占領しました。ドイツ軍の攻撃で、イギリスの一般市民も数多く亡くなりました。その後、ドイツ軍はバルカン半島に攻めました。これに対して、ソ連も「もう武力で止めるしかありません」とドイツに伝えました(独ソ戦)。ドイツ軍はスターリングラードの戦いで大敗すると、もうソ連と戦っても勝てなくなりました。一方、最初のアメリカはイギリス・フランスなどに物資を送るだけでした。しかし、日本が真珠湾を攻撃すると、「もう武力で止めるしかありません」と日本・ドイツ・イタリアに伝えました。連合軍はノルマンディーで上陸作戦を行い、東部と西部の両方からドイツ軍を追い詰めました。こうして、ドイツ軍は第二次世界大戦で負けました。
大量殺戮と民衆の抵抗
編集ナチ党は「人間は健康なドイツ人だけにしたい。外国人は入れたくない。」と考えました。この考えから、ナチ党はユダヤ人・ロマ族・スラヴ人・障害者などを殺しました。特に、ユダヤ人は600万人も亡くなりました。それでも、ドイツ軍の占領地域は、黙ってはいません。力を合わせて抵抗運動(レジスタンス)を始めました。その結果、一部の地域は自力で自由を取り戻しました。