高等学校歴史総合/脱植民地化とアジア・アフリカ諸国

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 1945年に出来た国際連合憲章には、全ての人に同じ権利と自分で決める権利があると書かれています。しかし、旧植民地が独立してからその後の発展を遂げるのは困難でした。アジアやアフリカの国々はどのように独立をして、世界に何を伝えたのでしょうか。

アジア・アフリカ諸国の独立

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 第二次世界大戦は、アジア・アフリカの植民地や委任統治領を担当していた列強を疲れさせました。また、これらの地域の人々にも、独立出来るかもしれないという希望を与えました。

 1942年、日本軍がオランダ領東インドを占領しました。その後、1945年8月になって、スカルノらがインドネシア共和国の独立を宣言しました。1949年、インドネシア共和国は戦争でオランダを破って独立しました。1940年、フランス領インドシナは日本軍に占領されました。日本軍に抗議する運動が、ホー・チ・ミンらによって展開されました。1945年9月、これをきっかけにベトナム民主共和国(北ベトナム)が誕生しました。ベトナムと旧宗主国のフランスは、1946年にインドシナ戦争を開始しました。フランスはこの戦争を認めませんでした。1949年、フランスはベトナムに傀儡政権(南ベトナム)を建国しました。しかし、1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスは敗れ、ジュネーヴ休戦協定により北緯17度線が南北ベトナムの軍事境界線となりました。そして、アメリカの支援を受けて、北緯17度線の南側にベトナム共和国が成立し、国土は永久に南北に分断されるようになりました。

 第二次世界大戦中、南アジアはイギリスの植民地でした。ジャワハルラール・ネルーと国民会議派は統一インドの独立を目指し、ムハンマド・アリー・ジンナーとインド・ムスリム連盟はパキスタンの独立を目指しました。インドとパキスタンの争いが激しくなると、1947年、両国は独立を果たしました。

 中東では、イギリス軍とフランス軍も撤退していました。第二次世界大戦終戦後まもなく、イギリスとフランスの支配下にあったヨルダンとシリアが独立しました。一方、パレスチナでは、イギリスの委任統治時代に移住してきたユダヤ人が、地元のアラブ人が反対する中、1948年にイスラエルの建国を宣言しました。

 北アフリカは、1956年にチュニジアとモロッコが独立するまで、フランスの植民地でした。アルジェリアは長い紛争の末、1962年に独立しました。黒人アフリカでは、1957年にクワメ・エンクルマがガーナ共和国を独立させました。1960年には、他の17カ国も独立を果たしました。この年は「アフリカの年」といわれるようになりました。

第三世界の形成と連帯

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 アメリカとソ連の冷戦時代、アジアやアフリカの国々は第三世界を作るために手を組もうとしました。1954年、中国の周恩来とインドのジャワハルラール・ネルーが平和五原則に合意しました。1955年、日本を含む29カ国がインドネシアのバンドンに集まり、植民地主義の廃止と平和共存を謳った平和十原則に合意しました(アジア・アフリカ会議)。1961年、非同盟諸国首脳会議が開催されました。非同盟諸国首脳会議は、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトーとエジプトのガマール・アブドゥル=ナーセルらの呼びかけで、開催されました。独自の社会主義やアラブ民族主義といった非同盟運動の立場から、世界の平和共存と民族解放を宣言しました。