高等学校歴史総合/近世の日本と世界

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日本の「鎖国」と東アジアの交易

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16世紀を迎えると、ヨーロッパ諸国も貿易に加わりました。このうち、日本・アメリカ大陸の銀は、世界中で取引されるようになりました。その結果、アジアの経済がかなり豊かになりました(大交易時代)。

 
朝鮮通信使

江戸幕府はキリスト教の広がりを心配して、自由に外国に行けないようにしました。外国の貿易も長崎の港だけに限定され、その相手国をオランダと中国のみにしました。また、朝鮮は対馬藩と仲良くしていました。そのため、対馬藩から朝鮮通信使が自由に日本へ渡っています。さらに、琉球王国も中国に挨拶へ向かいつつ、日本にも挨拶に向かいました。そして、蝦夷地も松前藩がアイヌ人と貿易をしており、中国の品物をアイヌ人から手に入れました。このように江戸幕府は一部の外国を相手にして、海外からの情報を手に入れています(鎖国)。

17世紀後半、中国の清王朝はかなり厳しい貿易制限をかけました。その上、ヨーロッパがかなり寒くなり、ヨーロッパが寒くなりすぎて経済も上手く回らなくなりました。その結果、日本・アメリカ大陸の銀は、次第に取引されなくなりました。こうして、東アジアは相手国をかなり慎重に選ぶようになりました。

大きな争いが江戸時代になかったので、経済も少しずつ豊かになりました。農家の仕事をやりやすくしたり、職人がよりよい品物を作ったりしました。加えて、農作物・品物を運ぶために海路・街路が整備されると、どこでも同じような品物を買えるようになりました。こうして、江戸・大坂・京都の街が大きくなり、外国人も驚くような大都市になりました。

近世東アジアの国際秩序

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かつて、中国を中心に周辺諸国と上手く付き合うような特別な関係がありました。周辺諸国は中国に贈り物を持っていきます(朝貢)。これに対して、中国も素敵な贈り物を周辺諸国に渡します。また、特別な肩書きを与えて、「中国の大切な仲間」と認めました(冊封)。

もちろん清国も、周辺諸国(朝鮮・琉球・ベトナム・タイ・ビルマ)と仲良く付き合うために明の朝貢貿易を引き継ぎました。当時の朝鮮人は満州族(女真族)の支配を快く思わず、「自国だけが正しい文化を持っている。」と考えるようになりました。一方、日本の江戸幕府は武力を使って国を治めていくようになり、外国との付き合いを制限しました(鎖国)。このように、清国に政権が変わると、東アジアの国際関係も大きく変わりました。