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鉄道開業以前

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 鉄道が走り始めた頃、その速さに多くの人々が驚きました。当時の人々は、鉄道がこんなに速いとは想像もしていませんでした。鉄道以前のイギリスでは、馬車が一番速い移動手段でした。

 
イギリスの駅馬車

 中世は、農耕生活をしながら自給自足の生活を送っていました。物や人の移動はほとんど地域社会内で行われ、遠距離の移動は稀でした。近世になり都市が発展すると、農村と都市の間の移動が活発になりました。人々は農村から農産物を運び、都市で手工業製品を作りました。当時、移動の主な手段は馬が引く馬車でした。そのため道路も整備されました。

 1625年、初めて馬車が公共交通機関として使用されるようになりました。最初はロンドンで駅馬車が運行されました。その後、長距離の駅馬車が運行されるようになりました。1678年には、エディンバラからグラスゴーまで6頭立ての駅馬車が運行されました。この6頭立ての駅馬車は、片道約70kmを1日で走破しました。

 郵便制度が発展するにつれて、国民はより速い馬車を求めるようになりました。1785年からは速達の郵便馬車「メール・コーチ」が、ロンドンとエディンバラの間を走り始めました。1788年には、ロンドンとグラスゴーの間でも運行されるようになりました。18世紀に入ると、道路や馬車のスプリングが整備されました。この中で、四頭立ての馬車はロンドンと主要都市を時速9〜10マイル(約15キロ前後)で結びました。

 本格的な鉄道開通前の1823年、イギリスでは蒸気で走るスチームバスが登場しました。平均時速20km、最高時速30kmでしたが、馬車に比べるとまだまだ低速でした。また、音が大きく、煙を吐き、カタカタと音を立てるので、「危険」「道路に悪影響を与える」という反対意見もありました。そのため、不人気であまり売れない自動車でしたが、最後の1台は1923年まで生産され、ちょうど100年になりました。

 鉄道が本格的に開通する前、イギリスの炭鉱地帯においては、鉄道が少しずつ進展していました。1712年にトーマス・ニューコメンが発明した蒸気機関は、上下にしか動かないもので、炭鉱や小川から水を汲み出して利用する程度に留まりました。しかし、1780年にジェームズ・ワットが回転式蒸気機関を発明すると、蒸気機関は色々な分野で利用されるようになりました。

 当時、馬がトロッコ列車を引いて炭鉱から最寄りの石炭積み出し港まで運んでいましたが、すぐにジェームズ・ワットの蒸気機関製の蒸気機関車に置き換わりました。これらの炭鉱地帯の路線は、それぞれ独立しており、繋がっていませんでしたが、19世紀に入ると、総延長2400kmにまで拡大しました。

 1804年、ウェールズ出身のリチャード・トレヴィシックが初めて蒸気機関車を製作しました。この機関車は、10トンの貨物と70人を乗せた貨車5台を、平均時速80キロで15キロメートルを2時間かけて走破しました。

 列車が馬車よりも速く、大量に人や物を運び出せたので、イギリス国民は鉄道建設を望むようになりました。トーマス・グレイの『鉄道概論』は、まだ旅客列車が建設される前の1820年に出版されましたが、すぐにベストセラーとなり、5版を重ねたため、イギリスでの鉄道の知名度と期待度が高まったとされます。

 トーマス・グレイは、「一般鉄軌道に関する所見」という著作で、自身の研究について述べています。馬1頭は労働者8人分の穀物を食べ、また、馬や人は上下に移動しなければならないため、エネルギーが浪費されます。一方、蒸気機関は規則正しく連続的で非常に滑らかな回転運動をするため、エネルギー効率が高く、馬車の場合は運転手のミスや動物虐待、悪路などによる遅延や故障、事故が起こるかもしれませんが、鉄道ではそういった心配はありません。

 ジョージ・スティーヴンソンは、19世紀初頭にイギリスで活躍した技術者で、蒸気機関車の開発者として知られています。彼は、世界で最初の公共鉄道の1つであるストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の建設にも関与しました。

 ジョージ・スティーヴンソンは、蒸気機関車の設計に多くの革新をもたらし、燃費の向上や速度の増加を実現しました。また、彼は鉄道の軌道や橋梁などのインフラストラクチャーの設計にも貢献し、これらの技術は現代の鉄道建設にも引き継がれています。

鉄道開業後

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 ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は、1825年に開業し、当時は馬車による運搬が一般的であった石炭の運搬に使われました。ジョージ・スティーヴンソンはこの鉄道の設計に携わり、蒸気機関車「ロケット号」を開発し、鉄道の速度と貨物輸送能力を大幅に向上させました。この鉄道の成功は、蒸気機関車を使った鉄道建設の先駆けとなり、19世紀における産業革命の発展に大きく貢献しました。

 リバプール・アンド・マンチェスター鉄道は、1830年に開業したイギリスの鉄道で、世界で最初の公共鉄道の1つとされています。この鉄道は、蒸気機関車による列車運行により、貨物輸送だけでなく人々の移動にも大きな影響を与えました。また、この鉄道の建設は、当時の技術革新と、イギリスの工業革命の進展に役立ちました。

 本鉄道の建設予定区間の途中に、試運転に使える4キロメートルの平坦な直線区間がありました。全線の完成前に、この直線区間で蒸気機関車の競技会を開いて、路線に使用する蒸気機関車を決めました。懸賞金付きの募集で、5台の機関車が応募しました。

 1829年10月6日、科学者や観察者含む15000人が集まり、今世紀で最重要イベントとなったこのトライアルを観戦しました。最初のノベルティー号はすぐに時速45キロを記録しました。その後のサイクロベッド号はベルトの上を馬がトロトロ歩いて移動したので、脱落します。また、次のパーシヴァランス号も、時速10キロの最高速度だったので、脱落しました。サン・パリール号はシリンダーの破損から、途中で操縦出来なくなりました。ノベルティー号も、ボイラーの配管が故障しました。このような状況でも、ジョージ・スティーブンソンのロケット号は決められた条件を唯一満たしました。ジョージ・スティーブンソンのロケット号は最高時速56km、平均時速22kmだったので、すぐに営業運転に使われるようになりました。

 政治家のトマス・クリービーは、試乗のため大会に招待され、その速さを気に入りながらも、安全性について非常に心配していました。「ただ乗っているだけなのに、つまらない事故で乗っている人全員が即死してしまうのではないかと思うと、不安で仕方ありません。」と語りました。

 1830年9月15日、リバプール~マンチェスター間に初めて列車が走りました。列車は22両編成で、49.5キロメートルを4時間半かけて走りました。1832年、急行列車は表定速度時速33kmで1時間半かけて走り、普通列車は時速24kmで2時間かけて走りました。当時の表定速度は時速約11km、最高速度は時速約30kmでした。それが開業時になると、すでに2〜3倍の速度になり、ダイヤに反映されるようになりました。

資料出所

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  • 創元社『鉄道高速化物語:最速から最適へ』 小島英俊著 2021年