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 第二次世界大戦とその復興に時間をかけた後、1950年代以降、一部の国の経済は目覚しい成長を遂げました。このような経済の成長は、私達の社会に何をもたらしてきたのでしょうか。

日本と西ドイツの経済成長

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 第二次世界大戦後、国際経済は金・ドル体制になりました。アメリカは経済的に順調で、これを「パクス・アメリカーナ(アメリカの平和)」といいました。アメリカは資本主義国に技術や資金を提供して、復興と工業化を支援しました。1960年代のイギリスは、軍事費の増大と公共投資によるインフレのため、経済成長は緩やかでした。一方、西ドイツと日本は、輸出による貿易黒字があったため、経済が急成長しました。

高度経済成長と人々の生活

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 朝鮮戦争で需要が高まり、日本経済は戦前の水準に戻りました。1950年代中頃から1970年代初めにかけて、日本経済は急成長を遂げました(高度経済成長期)。岸信介内閣は日米安保条約改定への反対(安保闘争)で退陣しました。次の池田勇人内閣は「所得倍増」を掲げて公共投資を拡大しつつ、技術革新や貿易振興など積極的な財政政策を実施しました。

 日本では、経済成長によって、大量生産・大量消費が広まった結果、消費革命やエネルギー革命と呼ばれる社会変化が起こり、国民生活も大きく変わりました。

次のような社会変化は、現在の暮らしでもつながっています。

  • 三種の神器や新三種の神器とよばれた耐久消費財の普及
  • テレビ放送や漫画雑誌などメディアの多様化
  • 高速道路や新幹線に代表される交通網の整備やモータリゼーション
  • インスタント食品や流通の拡大によるスーパーマーケットの誕生

 また、1964年の第1次東京オリンピック[1]、1970年の大阪万博は、日本の復興と経済成長を海外に示しました。

成長のもたらした課題

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 一方で、先進国の経済成長によって、大きな問題も起きています。産業や開発が急速に発展したため、公害や自然破壊が引き起こされました。ヨーロッパでは大気汚染が酸性雨を引き起こし、国境を越えて被害をもたらしています。環境問題を解決するためには、これまでの枠組みにこだわらないで、国家同士が協力していく必要があります。

 日本でも、環境汚染や交通渋滞で生活環境が悪化しました。環境汚染では、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息など深刻な社会問題(公害問題)を引き起こして、四大公害裁判などの訴訟も頻繁に行われました。工業化、農業の機械化、減反政策によって、産業構造が変化しました。その結果、農村から都市へと多くの人が移動したので、都市は過密となり、農村は過疎化しました。

 こうした問題を受けて、日本政府は1967年に公害対策基本法を制定したほか、1971年になると、環境庁を設置しました。一方、日本社会党や日本共産党など新しい勢力の支持を集めて、環境政策や社会政策を推進する首長が、各地で支持を集めていきました。

ここに注意!!

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  1. ^ 第1次としたのは、2021年に東京オリンピックがもう1回開催されたためです。そのため、執筆者自身が第1次と付けました。