高等学校歴史総合/18世紀の中国とアジア貿易

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 18世紀、清の経済的な成果はどの程度だったのでしょうか。

清の繁栄

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 は、18世紀の中国を支配していました。満州族は北東アジアに住んでいたため、17世紀前半に清朝を建国しました。1644年に首都を北京に移し、中国を支配するようになりました。清は、17世紀初めから20世紀前半まで、260年以上にわたって中国を支配しました。この間、モンゴルやチベットまで統治しました。この清朝の領域は、現在、中華人民共和国が支配しています。

 18世紀、清朝は産業と商業を急速に発展させました。税金は現金で納めなければならなかったので、お茶や綿布、陶器などの商品が各地で作られ、川や運河で運ばれました。商人達の出身地同士が結びつき、都市で商売をするようになりました。また、荒れ地や山地でも育つトウモロコシや薩摩芋などのアメリカ原産作物も広まりました。人々の生活や社会が安定するようになり、人口も大きく増えていきました。

清と近隣諸国とのつながり

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 強大な力を持ち、急速に発展した清は、アジア各国にとって、その結びつきが重要でした。清の冊封制度によって、朝鮮・琉球・ベトナム・タイ・ビルマ(現在のミャンマー)の間で貿易が行われました。しかし、日本は清のように冊封体制に入っていなかったので、政治的に無関係でした。17世紀末、清が朝貢しない民間貿易を認めると、中国商人はアジア各地に渡るようになりました。日本や東南アジアから、鱶鰭、鮑、海鼠など、今でも中華料理に使われる海産物が大量に輸入されました。また、銅や鈴などの鉱産物も多く輸入されました。長崎は日本と中国商人が出会い、商売をする場所でした。ヨーロッパ各国もアジアと貿易を行いました。清からお茶や陶磁器などを買い、その代金をで支払っていました。

 貿易や商売が盛んになり、清の人口も増えると、東南アジアに移住する人が増えました。彼らは華僑と呼ばれます。華僑とは、中国(華)からやってきて、一時的に別の場所(僑)に住んでいた人達をいいます。華僑は東南アジアの貿易や物流で大きな力を持ち、東南アジアの発展にとって非常に重要な存在でした。