トーク:高等学校の学習/旧課程(-2012年度)

最新のコメント:3 年前 | トピック:旧課程教科書の今後の在り方について | 投稿者:Honooo

「執筆者への注意:旧課程教科書は上のような経緯で便宜的に残っているだけの、対象読者のいない教科書ですので、執筆者はこちらではなく現行課程教科書へ加筆してください。誤って旧課程教科書へ加筆した執筆者は、できうる限り元に戻したうえで、現行課程教科書に加筆してください。」 2018年5月27日 (日) 11:54‎ 115.36.240.238

(コメント)オマエ(IPユーザー 115.36.240.238 )が自分で書けよ。
要望を出せば、他人が勝手に書いてくれると思ってんのかね?
あと、数研出版の市販版の「もういちど読む」シリーズなんかだと、昔の教科書のカリキュラムをベース内容としていて、さらに現代の教科書の内容をつけたしているという構成になっている事も指摘しておく。お前は手を動かさないから、そういう出版状況も分からないんだよ。
手を動かさないで要望ばかり出してる人の理屈(それを「浅知恵」という)なんて、世間は誰も聞いてくれないよ?
まあ、wikibooksだと他の(手を動かさない)編集者が聞いてくれるかもしれないけどさ。
あと、「できうる限り元に戻したうえで、」にコミュニティの同意を取れているわけではないので、この文言をあとで除去しておきます。
そもそも旧課程版をアーカイブとして変更せずに使うべきか、それとも数研出版「もういちど読む」シリーズみたいに現代風にアップデートして使うべきか、あるいは両方とも作成するか、コミュニティでは何一つも合意も取れてないんでね。--すじにくシチュー (トーク) 2020年10月25日 (日) 08:28 (UTC)返信
>数研出版の市販版の「もういちど読む」シリーズなんかだと、昔の教科書のカリキュラムをベース内容としていて、
ついでに、書店の高校生むけの参考書コーナーに行けば、普通に数研「もういちど読む」シリーズが参考書として置いてある事も、指摘しておこう。--すじにくシチュー (トーク) 2020年10月25日 (日) 09:09 (UTC)返信
そのIPは私ですので、反応しておきます。何年経っても手を動かさないことは変わらない私ですが、下手にせっせと手を動かしてゴミ記事を大量生産するよりは、何も生み出さない方がはるかにwikibooksに貢献していると自負しております。それはさておき。
コミュニティの合意がないことは確かですね。なぜなら、その記載がなされてからこれまでに誰一人異論はなかったので、合意を形成する必要もなかったからです。ですが、このように別の方向性がよいと言われる方が現れたからには、合意形成に向けた努力を当然するべきですね。論点整理と議論提起をしようと思います。すじにくシチューさんのように有能ではないので、論点整理作業に1日ほど時間をいただきたく思います。日本時間で明日中には議論を提起しようと思いますので、少々お待ちいただき、そのうえで議論にご参加いただければ幸いです。力を合わせて合意形成に向けて努力しましょう。
なお、すじにくシチューさんがほうぼうで言われる、「このような書籍は市販されている。お前はそれを知らないだけだ」という主張には何の説得力もないことだけは指摘しておきます。市販されている書籍に同種のものがあるかどうかと、wikibooksの特定の記事をその書籍と同種の方向で執筆すべきかどうかは、特に関係がありません。市販されている特定の書籍に似た内容だからといってwikibooksにはそぐわない内容の書籍もあるでしょうし、逆に市販されているどの書籍にも似ても似つかない秀逸な記事が存在する余地もあるのがwikibooksです。あなたは、自分が最近知った知識について「俺はこんなこと(こんな本)を知っている。どうだお前は知らないだろう」という論法がお好きなようですが、おそらく多くの参加者はそんなことは知った上で議論に参加しており、そんな本は知った上でその本とは異なる方向性に持っていくことを主張しておられるのです。ご自分が最近まで知らなかったことだからなのでしょうが、それを他の人もそうだろうと思い込むのはおやめになったほうがいいと思います。私はそうでもないですが、たいていの参加者の方はあなたより博識だと思われますから、そういう態度はあなたが恥をかくだけです。まぁ、長年にわたって既に恥ずかしい行為を続けていらっしゃるので、今更かもしれませんが。--K.ito (トーク) 2020年10月31日 (土) 08:59 (UTC)返信

旧課程教科書の今後の在り方について

編集

では、議論を提起させていただきます。上でご指摘をいただいたように、高等学校用旧課程教科書について、今後どのように取り扱っていくのか、現状ではコミュニティの合意がまったくない状態です。今後のこの教科書群の在り方、あるべき方向性について、議論を始めたいと思います。

  • 前提条件の共有
高等学校のカリキュラムは概ね10年に一度のペースで改訂されます。ここでは、
「旧課程」:1999年告示、2003年~2012年の高校入学者に適用される課程
「現行課程」:2009年告示、2013年~2021年の高校入学者に適用される課程
「新課程」:2018年告示、2022年~の高校入学者に適用される課程
と呼ぶことにします。ウィキブックス日本語版が立ち上がった当初の課程が「旧課程」だったため、この「旧課程」の教科書より古い課程の教科書群は、存在していません。
旧課程で学んだ方で最年少の方は2012年度に16歳を迎えた人なので、2020年度現在24歳ということになります。また、新課程で学ぶことになる最も早い人は、2022年度に高校に入学する人なので、2020年度現在中学2年生の人ということになります。
  • ウィキブックス日本語版の現状と、新課程への見通し
この高等学校の学習/旧課程は、2017年に私が作成しました。それまでは、高等学校の学習のページから旧課程の教科書にリンクされており、現行課程は「新課程」という名前の別の目次ページからリンクされていたと記憶しています。既に旧課程履修者がほぼ高校を卒業していたタイミングだったため、この形よりも現在の形の方がより適切な形だろう判断して構成を変更したのですが、私の独断であり、特に合意形成は行っていません。上で問題とされた、現行課程教科書への加筆を促す文言も同時に私が記載しましたが、合意を形成したことはなく、独断で記載しました。この形がこれまで踏襲されています。
内容面では、教科により課程間の変更が大きかったり小さかったりしますので、それに対応して現況が異なります。新課程において変更が大きいか小さいかも含めて、主要5教科について教科ごとにまとめると、
  • 国語
旧と現行の内容差は小さく、現行では旧の教科書をそのまま利用可。そのまま利用・加筆されている。新では現行と比べ大きく科目構成が変更される。
  • 地歴公民
旧と現行の内容差は小さく、現行では旧の教科書をそのまま利用可。そのまま利用・加筆されている。新では現行と比べ大きく科目構成が変更される。
  • 数学
現行で追加された単元の教科書はある程度執筆されたが、未完成の状態。新では現行と比べ大きく科目構成が変更される。
  • 理科
旧と現行で科目構成が大きく変更されたが、現行の科目構成の教科書は未作成。旧の教科書への加筆が見られる。現行と新の内容差は小さい。
  • 英語
旧と現行で科目構成が大きく変更されたが、旧の教科書がそのまま放置されている。現行と新の内容差は小さい。
というところでしょうか(以上の見立ては私の勝手な見立てですので誤りがあればご指摘ください。なお旧と現行の違いについては、手前味噌ですがトーク:高等学校の学習に私が書いた記載が詳しいです)。また、最近の報道によれば、新課程では情報を大学入学共通テストの科目とすることが検討されているとのことですので、情報の教科書の重要性も高まります。
  • 今後のあり得る方向性
今後、これら旧課程の教科書をどのようにしていくべきかについて、これまでのさまざまな議論からは、次のような選択肢が提示されているように思われます。
旧課程教科書については、
  1. 旧課程の教科書であると明記したうえで、今後とも積極的に加筆していくべきである。
  2. 旧課程の教科書であると明記したうえで、積極的に加筆する必要はないが、加筆しても別に構わない。
  3. 現行・新課程教科書へ労力を集中するため、加筆は控えるべきである。
現行課程教科書については、
  1. すべての内容について、今後とも積極的に加筆していくべきである。
  2. 新課程に引き継がれる内容については加筆を進めるとともに、引き継がれない内容については加筆を控えるべきである。
  3. 積極的に加筆する必要はないが、加筆しても別に構わない。
  4. 新課程教科書へ労力を集中するため、加筆は控えるべきである。
他にもありましたらご提示ください。これらの論点の根拠として、
  1. 過去の課程においてどのような内容が教授されていたかのアーカイブは史料的に重要である。そのようなコンセプトの書籍も市販されている。
  2. 過去の課程と現在・未来の課程では共通する内容も多い。過去の課程の教科書を埋もれさせてしまうことは、将来その内容が課程に復活した際の再執筆の妨げとなる。
  3. 現在の高校生が学ぶのは現行課程教科書であり、現行課程の教科書を充実させることが最優先である。現状の人的リソースでは、旧課程教科書のメンテナンスまで手が回らない。
などの論点が既に出ているかと思います。こちらも他にもありましたらご提示ください。なお、新課程教科書を必要とする時期は目前に迫っており、そろそろこちらの執筆を始め、進めていかなければならない点についてはご異論はないと思います。
  • 先行議論へのリンク
この議論に先行する議論として、思い当たるものをあげておきます。
早くも2013年に、読者の方から現行課程への対応を促すご指摘がありました。ですが、理科教科書の執筆者にはこのご意見は届かず、理科の教科書は旧課程教科書への加筆が続いています。7年経ってもこの読者の方のご指摘に対応できていないのが現状です。
2014年に私が現行課程教科書の執筆を提案しましたが、特に反応はありませんでした。2015年にはすじにくシチューさんから、現行課程教科書の執筆が進まないうちから旧課程へのリンクを切らないでほしいという提案がなされ、2017年になっても執筆は進んでいませんでしたので、私が現状の目次を作りました。どちらも、特に異論は出ていません。
2015年に私が議論を提起しました。現行課程では高校の課程から外れている行列についての記事への加筆は異様ではないか、という形で問題を提起しました。すじにくシチューさん、かげろんさんが議論にご参加くださり、ウィキブックス日本語版にしてはかなり活発な議論が交わされたと思いますが、合意形成には至りませんでした。
なお、これら先行議論では、今回の議論提起において私が「現行課程」と呼んでいる課程のことを「新課程」という名前で呼んでいることがありますので、参照の際はご注意ください。
  • 以上を踏まえ
「今後のあり得る方向性」節で挙げた論点について議論を深め、どのような方向性で執筆を進めていくのかについての合意形成を図りたいと思います。下の「議論」節での活発なご審議をお願いいたします。--K.ito (トーク) 2020年11月1日 (日) 08:58 (UTC)返信

議論

編集
  • 私の立場は、旧課程については「現行・新課程教科書へ労力を集中するため、加筆は控えるべきである」、現行課程については「新課程に引き継がれる内容については加筆を進めるとともに、引き継がれない内容については加筆を控えるべきである」です。ウィキブックスは執筆者が自分の功名心を満足させることを目的としたプロジェクトではなく、読者が学習するための役に立つことを目的としたプロジェクトです。まず、目の前でこの課程の内容を学習しようとしている高校生がいるのですから、その高校生たちの学びにコミットするのが最優先です。現状の限られた人的リソースの中で、旧課程をいじって自己満足する暇があったら、目の前の高校生のための記述を書いてほしい。これが、執筆する能力の低い私から、執筆してくださる有能な方々へ、心からお願いしたいことです。そのお願いしたい気持ちの強さから「執筆しない者が偉そうに意見するな黙ってろ」という批判は重々承知ながら、敢えてこのような議論提起をさせていただきました。
また、旧課程教科書をアーカイブ的に残すことの有用性は理解しますが、であれば徹頭徹尾アーカイブに徹するべきだということも付け加えておきます。ある課程で教えられていた内容の記録を称するならば、あくまでその課程の内容の記録に徹するべきです。現行課程ではない分、現行課程ではないのだから何でも書いていいのだという自分勝手な執筆者の遊び場になりやすいのが現況ですので、そうならないように他の編集者が監視すべきだと思います。--K.ito (トーク) 2020年11月1日 (日) 09:12 (UTC)返信
  • わたしは有能な執筆者ではないし、今現在、そして割と近い先においてまとまった文章をここで書く意図や予定はないので、議論の参加者としてはそぐわない人間かもしれませんが、議論の活性化の足しにはなるかもしれないので、少し発言しておきます。まず今回の議題に対する意見は、旧課程「2.旧課程の教科書であると明記したうえで、積極的に加筆する必要はないが、加筆しても別に構わない。」、現行課程「3.積極的に加筆する必要はないが、加筆しても別に構わない。」、ですね。
ここでは皆さんよく言うんですが、私はなんだかんだでウィキメディアでそれほど書いている訳でもないしアクティブでもないので、ちょっと疑問に思うんですが、コミュニティの合意って、具体的にはどういうことですかね。公開の場所である程度の人員のある程度の議論がなされて、特定の方針に対して、議論参加者の賛成が得られて、反対者がいない状態、あたりでしょうか。もちろんそれはいいことだし重要なことだと思いますが、ウィキぺディアみたいに参加者が多いならともかく、ここウィキブックスでは、参加者は少ないし、その状態に至ること自体あまりないようにも思えます。それに、コミュニティの合意なるものが得られた場合は、それに反する書き込みを非難したり修正したりするのは妥当性を持ちますが、コミュニティの合意が得られていないことを理由に特定の書き込みを差し戻したり、修正したりするのはそんな妥当なことではないように思いますよ。明らかなヴァンダリズムならともかく、他者の書き込みを非難、修正、差し戻しするのはあくまでも自分の意志と責任で、普遍的な理由の元行うべきだと感じます。
学校教科書の執筆において、新課程を優先させ、執筆し、旧課程の文章をアーカイブとして整備して、不適切な編集を受けないように監視することは、いいことだし重要なことだとは思います。
私はすじにく氏の主張は多くの場合同意しないし、同意しないどころか、奴の考えてることも言ってることも、全部違うよな、とまで思っていますが、学校教科書の新旧課程の扱い、新課程優先で執筆を進め、旧課程には不適切な編集を受けないように監視する、というのは、ここにおけるヴァンダリズムの取り扱いと同じで、有志、それが必要だと感じている人が、その都度地道に手掛けていくのが妥当だと思っています。--Honooo (トーク) 2020年11月2日 (月) 11:27 (UTC)返信
  • コメントありがとうございます。2週間近く放置してしまい申し訳ありません。
「合意形成」についてですが、実は私も近い認識を持っています。このウィキブックス日本語版には、一人の執筆者が淡々と執筆を進めており他の参加者の異論はまったく出ない、という状況の記事も多々ありますが、そのような記事では明らかに「合意形成」などという面倒なプロセスは不要です。ですから、現状のウィキブックス日本語版において「コミュニティの合意のない内容を書くな」は明らかにただの難癖です。ですが、WMPの趣旨にのっとれば、合意のない加筆をするなという難癖を防ぐための的確な対抗策は、やはり合意形成ということになるのだと思います。ですので、面倒ですが、粛々と提案させていただいています。
本題ですが、Honoooさんのご見解は、新課程への加筆が優先されるべきなのは確かだが、だからといって旧課程等への加筆を止めるようなルールを作ったり明記したりする必要まではなく、それを必要だと考える参加者がその都度監視していれば十分である、ということですね。私も一般論としてはそれが可能であればその方が適切だと思います。ただ一方で、このウィキブックス日本語版の現状として、特定の暇な執筆者が大量に書き散らかしていく内容を精査するだけの人的リソースはない、という現実がある中で、明文規定である程度の歯止めを利かせた方がいいのではないかとも私は思うのです。このあたりがおそらく私とHonoooさんの一致していない点でしょうか。
引き続き他の方も含めてご意見をお待ちします。--K.ito (トーク) 2020年11月15日 (日) 00:30 (UTC)返信
  • いやー, itoさんがルールの明文化が必要だと考えるのなら,全面的に賛成して,旧課程,現行課程の加筆を控えるべきという方針に賛成してもいいですよ。事実,賛成します。ただ,明文化まで事実上持っていけるかは未知数ですね…。実際この後ほかの方がどう言うかも問題ですし,全くコメントがつかない可能性もある…。しかしその辺の持って行き方は,議長に完全にお任せします。このウィキメディアのWiki は基本的には誰でも書けますよね。 itoさんの言うように暇人でも書けますし,世界を股にかけて,24時間自分の時間が1秒たりともないできるビジネスマンでも書けますし,あるいは,まあおそらくはそういう環境にはないのかもしれませんが,死刑囚だって書けますよ。ですからここはやはりインターネット上の特殊な場所だとは思います。ですからあまり質や完成度を求める事も必要ないのかなーなどと思うこともあります。結局暇人の遊び場じゃん,なんて思うこともありますよ^^;;;--Honooo (トーク) 2020年11月15日 (日) 05:40 (UTC)返信
  • あ…よくよく読んでみると,すじにくさんが「旧課程版をアーカイブとして変更せずに使うべきか、それとも数研出版「もういちど読む」シリーズみたいに現代風にアップデートして使うべきか、あるいは両方とも作成するか、」の合意を求めているのに対して, itoさんが旧課程→アーカイブ,現行課程→アップデートの具体的方針を示していて,それはすじにくさんも賛成できそうな内容ですから,合意の道筋は非常にあるんですね。と,いうことは,私が単に横からいらない口を出してしまっただけかもしれませんね…。すいませんね…たびたび…--Honooo (トーク) 2020年11月15日 (日) 20:21 (UTC)返信
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