高等学校世界史探究/ギリシア人の都市国家Ⅰ

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 ギリシア人の都市国家Ⅰでは、地中海地方の風土とエーゲ文明について学習します。

地中海世界の風土と民族

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フェニキア人の都市は黄色、ギリシャ人の都市は赤色、その他の都市は灰色です。

 地中海とその沿岸を囲むようにヨーロッパ・アジア・アフリカの3つの大陸があります。エーゲ海の島々やバルカン半島で、オリエントの影響を受けたエーゲ文明が現れました。エーゲ文明の滅亡後、ギリシア・ローマの都市文明が発展しました。エーゲ文明は、その後のヨーロッパ社会の直接の祖先です。地中海沿岸の自然はどこも変わりません。ギリシアの年間降水量は400〜500mmで、そのほとんどが秋から冬にかけて降ります。夏は乾燥していて気温も上がります。ナイル川を除けば、大きな川はありません。国土はほとんどが山岳地帯で、平野は小さく、山脈で区切られています。土地は石灰岩や片岩で出来ており、表土は薄く、保水力もあまりありません。したがって、ナイル下流や北イタリアのような穀物栽培に適した地域以外、小麦などの作物は保水力を保つために常に耕し、作業をしなければなりませんでした。しかし、こうした土地は、オリーブ・ブドウ・イチジクなどを果樹栽培するのに向いていたり、牛や豚などの大型動物よりも羊やヤギを飼育するのに向いていたりしました。陸上では移動が困難なため、ほとんどの人は海岸沿いの都市に住み、地中海の海路を利用していました。また、小アジアの高原・バルカン半島北部・イタリアの山岳地帯にも住んでいました。彼らは都市をつくらず、その多くは沿岸部の都市と対立していました。アテネやローマなどの都市では、地方の人々を奴隷として使う場面もありました。地中海世界には、このような中央と周辺の支配関係がありました。いつも旱魃の可能性があったので、オリーブ油を売って穀物を持ち込もうとしたところ、交易が非常に盛んになりました。このように、海上交易によって穀物を手に入れる方法は、古くから地中海の人々にとって最も重要な出来事の一つでした。

 地中海は、ある場所から別の場所へ移動するための重要な手段になっていたため、その周辺の古代世界にはひとつの文化が生まれています。地中海世界には、独特のポリス的文明が生まれました。オリエントの残酷な王に支配された奴隷とは対照的に、ポリス的文明の人々は自給自足で農業に取り組んでいました。この地域では、雨水を利用した小規模な自作農が出来たので、多くの農民がそうやって働き、自立した大人になっていきました。平野が狭く、大規模な農業をしなかったので、王や貴族の所有する土地は、平民の所有する土地よりそれほど大きくなりませんでした。以上の背景からポリス的文明の人々が現れました。

 新石器時代から青銅器時代にかけて、人々は世界中に住んでいました。やがて、セム語系民族は東地中海からアフリカなどへ、インド=ヨーロッパ語系民族は北から南へ移動していきました。その中でもギリシア人古代イタリア人は重要な存在で、中にはラテン語を話す人もいました。

エーゲ文明

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クノッソス宮殿

 古代地中海世界では、西洋文明の母体となる古典古代文明を生み出しました。ギリシア文明以前に、オリエントの影響を受けてエーゲ海周辺に初めて青銅器文明が発展していました。この文明はエーゲ文明と呼ばれています。

 
クノッソス宮殿の壁画

 紀元前2700年頃、クレタ島(エーゲ海最大の島)で始まったクレタ文明は、エーゲ文明の中でも最も重要な文明の一つでした。神話上クレタ島の王とされるミノスにちなんで、ミノア文明とも呼ばれています。20世紀初頭にクレタ島の都市クノッソスを発掘したイギリス人アーサー・エヴァンズは、クレタ文明の全体像を初めて明らかにした人物です。紀元前2000年頃、クレタ島では王の権力が強まり、各地に複雑な設計で豪華な宮殿が出現するようになりました。クノッソスに代表されるこの宮殿は、宗教的権威を持ち、大きな権力も持った王の住居でした。クレタ文明を築いた民族がどんな民族なのか、誰にも分かりません。宮殿に防御壁がないため、インド・ヨーロッパ語系の民族ではなく、外部の人間をあまり怖がらない民族だったかもしれません。宮殿の壁に描かれた壁画には、人間と海の生き物が生き生きと描かれています。海洋民族らしい明るく開放的で平和な文明を表現しています。特に、ギリシア神話では、海豚は神々の使いと考えられていました。「パリジェンヌ」と呼ばれる女性達や大きな牛を飛び越える曲芸師の絵などもあります。

 宮殿の広場の周りに設置された巨大な倉庫もクレタ文明で重要な役割を果たしています。支配者は、各地の貯まった物資を再配布する場所として宮殿を利用しました。宮殿を建てた人々は、まだ解読されていない絵文字や線文字Aという音節文字を使って、このような経済システムを運営させるために必要な文字記録を行なっていたように思われます。

 さらに、クレタ人は強力な艦隊を作り、エーゲ海の航行権を握って、エジプトや南イタリアと盛んに交易も行っていました。クレタ島の北にあるテラ島(現在のサン・トリーニ島)にも同様の文化が栄えていました。紀元前1500年頃、火山が噴火し、テラ島の大部分が海中に沈んでしまいました。この出来事が、プラトンなどが語ったアトランティス大陸伝説につながったと考えられています。

 一方、インド・ヨーロッパ語系のギリシア人は、紀元前2000年頃に北方からギリシア本土に移住してきました。彼らがクレタやオリエントと協力しながら、紀元前1600年頃に築いた青銅器社会がミケーネ文明です。

 
 

資料出所

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  • 山川出版社『詳説世界史研究』木村端二ほか編著 最新版と旧版両方を含みます。
  • 山川出版社『詳説世界史B』木村端二、岸本美緒ほか編著
  • 山川出版社『詳説世界史図録』