小学校・中学校・高等学校の学習>高等学校の学習>高等学校地理歴史>高等学校世界史探究>ルネサンスⅠ

 ルネサンスⅠでは、ルネサンスはなぜ発生したのか、その担い手は誰なのかについて学習します。

ほとんどの歴史学者は、ルネサンスをヨーロッパの中でも独特で興味深い時代と考えています。しかし、ルネサンスは中世とそれほど変わらず、2つの時代は従来の説明にある以上に重なり合っていたと言う歴史学者もいます。また、現代の歴史学者からは、中世の文化的特徴はルネサンスの影に隠れてしまったとする意見もあります。ルネサンスの正確な始まりと終わり、その全体的な影響については議論があるにしても、この時代の出来事が、人々の考え方や理解の仕方を変える進歩に繋がった点に変わりありません。このような点から、世界史探究ではルネサンスの通説のみを取り上げてまとめていきます。

ルネサンス運動

編集

 中世後期のヨーロッパは、厳しい時代を迎えていました。黒死病(ペスト)と百年戦争で大勢の人が亡くなりました。教会の大分裂は宗教的緊張をさらに高め、オスマン帝国の支配は脅威でした。しかし、危機の時代だからこそ、人間は死と隣り合わせという意識を強く持っていました。古い価値観にとらわれない新しい生き方や考え方を探し出して、語り合いました。また、イスラーム圏の研究は、自然を相手にする技術に人々の関心を集めました。また、自然もその一部としている人間も積極的に研究され、様々な新しい発見がありました。例えば、中世キリスト教の考え方では、人間は生まれつき罪を持っていて、汚れていて、何の力も持っていないと考えられていました。一方、自然界は神から生み出された一番無価値で、恐怖の対象と考えられていました。このような動きから、文学・科学・芸術などといった分野がより発展していきました。こうした変化の総称がルネサンスです。この学術用語は、フランス語に由来しており、「再生」という意味です。19世紀、フランスの歴史家ジュール・ミシュレが『フランス史』第7巻の標題で、初めて使いました。その後、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトが『イタリア・ルネサンスの文化』の中で使い、世界中に知られるようになりました。ルネサンス時代では、すでにイタリア語やラテン語で「再生」や「復活」という言葉が使われていました。

ルネサンス(再生)という言葉の語源となった考え方
 16世紀のイタリア芸術家ジョルジョ・ヴァザーリは、その時代に活躍した画家・彫刻家・建築家を紹介した『イタリア美術家列伝』の中で、この言葉を使っています。彼は、この偉大な天才の時代とは、古代(ギリシャ・ローマ時代)に生まれた芸術の復活・再生と考えています。当時は、古い書物を読み、そこに人間的な何かを見つけ、古典的な古代の学問や文化を「復活」させようという気運が高まりました。これは芸術だけでなく、人文科学の分野でも同じでした。18世紀のヴォルテールなど啓蒙主義の作家達も、当時の文化や社会を表現する言葉として「ルネサンス」を使っていました。
 
ルネサンスの中心都市(フィレンツェ)

 イタリアの都市は、ルネサンスが最初に始まった場所です。当時のイタリアは一つの国ではなく、多くの都市国家や小王国から成り立っていました。13世紀、地中海で交易していたヴェネツィア共和国・ジェノヴァ共和国・ピサ共和国などの港湾都市は、東地中海に進出すると、ビザンツ帝国やイスラームの商人達と取引を始めました。彼らは香辛料や贅沢品をヨーロッパに運び、大儲けしました。工芸や工業は、フィレンツェやミラノなどの都市を繁栄させました。フィレンツェの主な産業は毛織物ですが、木彫り・嵌め込み細工(象眼)・金細工・絹織物などの工業もありました。ミラノは毛織物と武器製造などの金属加工で知られていました。ジェノヴァは絹織物、ヴェネツィアは硝子・造船・印刷で知られていました。フィレンツェのメディチ家の銀行業と同じように、金融業もヨーロッパ全域で発展しました。15世紀から16世紀にかけて、イタリアはヨーロッパで最も多くの都市を持ち、ナポリに15万人以上、ヴェネツィアに10万人以上、ミラノ・パレルモ・ボローニャ・フィレンツェ・ジェノヴァ・ヴェローナ・ローマに5万人以上が住んでいたと考えられています。

 ルネサンスの人々はキリスト教を否定せず、この世界の文化を大切にしました。彼らの理想は、レオナルド・ダ・ヴィンチのような、文芸や自然諸学に詳しい「万能人」でした。ルネサンス時代のフィレンツェなどに住んでいたのは、ほとんどが細民と呼ばれる労働者階級の人達でした。ルネサンスを支えたのは、都市に住むごく少数の人々でした。君主や豪商は文化の保護者(パトロン)となり、専門職は作家や学者となり、職人は芸術家になりました。フィレンツェ共和国の大富豪(メディチ家)・ミラノ公(スフォルツァ家・ヴィスコンティ家)・フェラーラ公(エステ家)・マントヴァ公(ゴンザーガ家)などは、芸術や教育の保護者(パトロン)として知られています。芸術のパトロンには、君主・富裕層・都市の同職ギルド・同信会などの社会的宗教的団体・フィレンツェやヴェネツィアの共和制政府が含まれていました。

 ルネサンス時代のイタリアは、都市共和国・小君主国・ローマ教皇領に分かれ、互いに対立していました。都市での権力を巡って各政党が争ったため、外部勢力が介入するようになりました。1494年、フランス王シャルル8世のイタリア遠征・メディチ家の追放・1527年のドイツ皇帝軍によるローマ略奪は、ルネサンス文化の衰退につながりました。このような政治情勢が、ルネサンス文化に様々な影響を与えています。

資料出所・参考資料

編集
  • 木村端二、岸本美緒ほか編著『詳説世界史研究』株式会社山川出版社 2017年
  • 木村端二、岸本美緒ほか編著『詳説世界史探究』株式会社山川出版社 2023年
  • 木村端二、木下康彦ほか編著『改訂版 詳説世界史研究』株式会社山川出版社 2008年
  • 木畑洋一ほか編著『世界史B 新訂版』実教出版株式会社 2017年