高等学校世界史探究/ルネサンスⅠ
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ルネサンスⅠでは、ルネサンスはなぜ発生したのか、その担い手は誰なのかについて学習します。
ルネサンス運動
編集中世後期のヨーロッパは、厳しい時代を迎えていました。黒死病(ペスト)と百年戦争で大勢の人が亡くなりました。教会の大分裂は宗教的緊張をさらに高め、オスマン帝国の支配は脅威でした。しかし、危機の時代だからこそ、人間は死と隣り合わせという意識を強く持っていました。古い価値観にとらわれない新しい生き方や考え方を探し出して、語り合いました。また、イスラーム圏の研究は、自然を相手にする技術に人々の関心を集めました。また、自然もその一部としている人間も積極的に研究され、様々な新しい発見がありました。例えば、中世キリスト教の考え方では、人間は生まれつき罪を持っていて、汚れていて、何の力も持っていないと考えられていました。一方、自然界は神から生み出された一番無価値で、恐怖の対象と考えられていました。このような動きから、文学・科学・芸術などといった分野がより発展していきました。こうした変化の総称がルネサンスです。この学術用語は、フランス語に由来しており、「再生」という意味です。19世紀、フランスの歴史家ジュール・ミシュレが『フランス史』第7巻の標題で、初めて使いました。その後、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトが『イタリア・ルネサンスの文化』の中で使い、世界中に知られるようになりました。ルネサンス時代では、すでにイタリア語やラテン語で「再生」や「復活」という言葉が使われていました。
イタリアの都市は、ルネサンスが最初に始まった場所です。当時のイタリアは一つの国ではなく、多くの都市国家や小王国から成り立っていました。13世紀、地中海で交易していたヴェネツィア共和国・ジェノヴァ共和国・ピサ共和国などの港湾都市は、東地中海に進出すると、ビザンツ帝国やイスラームの商人達と取引を始めました。彼らは香辛料や贅沢品をヨーロッパに運び、大儲けしました。工芸や工業は、フィレンツェやミラノなどの都市を繁栄させました。フィレンツェの主な産業は毛織物ですが、木彫り・嵌め込み細工(象眼)・金細工・絹織物などの工業もありました。ミラノは毛織物と武器製造などの金属加工で知られていました。ジェノヴァは絹織物、ヴェネツィアは硝子・造船・印刷で知られていました。フィレンツェのメディチ家の銀行業と同じように、金融業もヨーロッパ全域で発展しました。15世紀から16世紀にかけて、イタリアはヨーロッパで最も多くの都市を持ち、ナポリに15万人以上、ヴェネツィアに10万人以上、ミラノ・パレルモ・ボローニャ・フィレンツェ・ジェノヴァ・ヴェローナ・ローマに5万人以上が住んでいたと考えられています。
ルネサンスの人々はキリスト教を否定せず、この世界の文化を大切にしました。彼らの理想は、レオナルド・ダ・ヴィンチのような、文芸や自然諸学に詳しい「万能人」でした。ルネサンス時代のフィレンツェなどに住んでいたのは、ほとんどが細民と呼ばれる労働者階級の人達でした。ルネサンスを支えたのは、都市に住むごく少数の人々でした。君主や豪商は文化の保護者(パトロン)となり、専門職は作家や学者となり、職人は芸術家になりました。フィレンツェ共和国の大富豪(メディチ家)・ミラノ公(スフォルツァ家・ヴィスコンティ家)・フェラーラ公(エステ家)・マントヴァ公(ゴンザーガ家)などは、芸術や教育の保護者(パトロン)として知られています。芸術のパトロンには、君主・富裕層・都市の同職ギルド・同信会などの社会的宗教的団体・フィレンツェやヴェネツィアの共和制政府が含まれていました。
ルネサンス時代のイタリアは、都市共和国・小君主国・ローマ教皇領に分かれ、互いに対立していました。都市での権力を巡って各政党が争ったため、外部勢力が介入するようになりました。1494年、フランス王シャルル8世のイタリア遠征・メディチ家の追放・1527年のドイツ皇帝軍によるローマ略奪は、ルネサンス文化の衰退につながりました。このような政治情勢が、ルネサンス文化に様々な影響を与えています。
資料出所・参考資料
編集- 木村端二、岸本美緒ほか編著『詳説世界史研究』株式会社山川出版社 2017年
- 木村端二、岸本美緒ほか編著『詳説世界史探究』株式会社山川出版社 2023年
- 木村端二、木下康彦ほか編著『改訂版 詳説世界史研究』株式会社山川出版社 2008年
- 木畑洋一ほか編著『世界史B 新訂版』実教出版株式会社 2017年
- 英語版ヒストリー ルネサンス解説 2023年1月閲覧 (リード文のみ)