高等学校 地理探究/ロシアと周辺諸国

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 日本の隣国といえる国は何処でしょうか?ロシアは世界で一番大きな国です。ヨーロッパとアジアの両方にあり、地下にはたくさんの資源が眠っています。日本の重要な隣国でもあります。領土問題が解決していないため、「近くて遠い国」と呼ばれるロシアについて、私達はあまり知りません。ソビエト連邦が国としてロシアになった後の様子を学んでみましょう。

広大な国土と多様な自然環境

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広大な国土

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ロシアの国土地図

 ロシア連邦はユーラシア大陸の北半分に位置し、そのほとんどが日本より高緯度です。アジアからヨーロッパにまたがる世界最大の国土を持ちます。ロシア連邦の大きさは、日本の約45倍(東西1万1000km)にもなります。そのため、11の標準時帯に分かれ、東端と西端では昼と夜がほぼ入れ替わっています。

 行政的に、国全体は8つの連邦管区と83の連邦構成主体に分かれています。連邦構成主体のうち26は少数民族を中心とした共和国、自治区、自治管区です。このうち、2大都市モスクワとサンクトペテルブルクは、連邦政府が直接管轄しています。

 ロシアの地形は、大きく分けて次の通りです。

  • 古期造山帯のウラル山脈を基準
ウラル山脈の西側 ウラル山脈の東側
構造平野

東ヨーロッパ平原

ヨーロッパロシア

低平な卓状地

西シベリア低地と中央シベリア高原

シベリア

  • 極東ロシア(極東地域)

 かつてシベリアは、ウラル山脈より東の地域の名称でした。現在、この地域のうちサハ共和国とアムール州以東の地域を極東ロシアに分類しています。

シベリアの厳しい自然

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 特に、東シベリアから極東ロシアまでの冬はシベリア高気圧に覆われ、オイミャコン周辺は北半球で観測史上最も寒い場所とされています。

 
ヤクーツクの高床式建物

 春から夏にかけて、北極海に注ぐオビ川、エニセイ川、レナ川などの上流では雪が解け始めても下流では凍ったままなので、しばしば氾濫します。また、路面の凍土層が解けて路面が柔らかくなると、通行出来なくなる場合もあります。そのため、シベリア北部の鉱業都市では、ほとんどの人が飛行機を使って他の地域と行き来しています。さらに、永久凍土が多い地域では、高床式の建物も見かけます。これは、床と地面の間に空間を作り、暖房で永久凍土が柔らかくなって、建物が沈んだり傾いたりしないようにするためです。

大陸性の気候と植生

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 ロシアは、ユーラシア大陸の北部のほとんどを占めています。シベリアを含むロシアのほとんどは、冷涼な寒帯や亜寒帯気候です。国土の約30%で、1月の平均気温が-30℃を下回り、半年以上寒さが続きます。海の影響を受けないので、そのほとんどが大陸性気候です。そのため、一年を通して寒い時期と暖かい時期の差が大きく、春と秋の季節がとても短く感じます。

 厳しい気候のため、北極海沿いのツンドラ気候の地域を除き、国土のほとんどがタイガと呼ばれる針葉樹林に覆われています。東ヨーロッパ平原の南部だけがわずかに耕作出来る土地を持ち、そのほとんどが寒さと旱魃から守らなければなりません。チェルノーゼムが分布するステップ気候地帯や気候が比較的穏やかな混合林が広がる地域は、ロシアの南西部や南部の国境付近の地域に限られています。ここに多くの人が住んでいます。特に、黒海とカスピ海に挟まれた地域は、世界でも有数の保養地として知られています。

ロシアの歩み

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出来事
1917年 ロシア革命, ロマノフ王朝が滅亡
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立
1928年 五か年計画開始, 農業の集団化と重工業の強化がはかられる
1940年 バルト三国併合
1945年 第二次世界大戦終結
1949年 COMECON(東欧経済相互援助会議)発足
1955年 ワルシャワ条約機構発足
1979年 アフガニスタン侵攻
1985年 ゴルバチョフが書記長に就任
ペレストロイカ(改革), グラスノスチ(情報公開)が開始
1986年 チェルノブイリ原発事故
1991年 冷戦終結
アフガニスタンからの撤退完了
COMECON, ワルシャワ条約機構の解体
ソ連共産党解体
ソ連の解体
独立国家共同体(CIS)の結成
1992年 価格の自由化によるインフレ
1994年 チェチェン紛争の激化
1997年 サミットに正式参加
1998年 ロシア金融危機
2008年 グルジアに軍事介入
2014年 クリミア半島併合
2021年~現在 ロシア・ウクライナ危機
ロシアとヨーロッパの間で揺れるウクライナ
 ウクライナは、かつてソビエト連邦に属していた国で、国土面積はカザフスタンに次いで2番目に広大な国です。ロシアとヨーロッパの両方に国境を接しています。東部には、ロシアとの関係を良好に保ちたいと考えるロシア人や親ロシア派の人々が数多く住んでいます。一方、西側はウクライナ人やEUなど西ヨーロッパ諸国との関係を強化したい親西欧派がほとんどです。このように、ロシアやEUからの懸念もあり、親ロシア派と親西欧派の間で政権が頻繁に交代し、国内で政治的な混乱が起こっていました。

 資源や産業の面では、国内にある石炭や鉄鉱石を利用して重化学工業が成り立っていました。しかし、原油や天然ガスは自国で十分に確保出来ないため、ロシアから輸入する必要がありました。しかし、ここ数年、ロシアが天然ガスの値上げを計画し、それに対してウクライナが天然ガスの輸送を停止するなど、天然資源をめぐる問題が起きていました。

 2014年、親ロシア派の住民と西側諸国を支持するウクライナ政府との間で争いが発生しました。この内戦はウクライナ東部からクリミア半島に広がり、そこにロシア軍が介入して内戦[1]が発生しました。ロシアはクリミア半島の領有を一方的に宣言し、世界から強く反発されました。

2022年には、ロシアがウクライナに大規模な侵攻を開始し、戦争になりました。現在(2023年8月)も戦争が続いています[2]

そしてこの侵攻により、ロシアは、Euやアメリカなどからの国際社会から経済制裁を受けた[3]

ウクライナは穀物輸出国でもあるため、ウクライナ侵攻により、世界の穀物の貿易に大きな影響を与えた[4]

※ 検定教科書(訂正版)における2022年のウクライナ侵攻および2014年のクリミア危機に関する記述は各社とも、上記のような簡潔に数行で終わる程度の記載です。高校生の読者は、それほどウクライナ侵攻の勉強には深入りする必要はありません。

ウクライナに関する地名の表記を、日本政府は2022年以降から、従来のロシア語表記に代わり、新しくウクライナ語に合わせた表記に変更している。

つまり、

キエフ(古い) → キーウ (新しい)

オデッサ → オデーサ   ドニエプル川 → ドニプロ川

など[5]

ハリコフ → ハルキウ

なお、キーウ(キエフ)はウクライナの首都。ハルキウはウクライナの都市のひとつ[6]

ソ連からロシアへ

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ソ連の成立と解体

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 ロシアは20世紀初頭まで皇帝が統治していました。しかし、1917年のロシア革命の後、1922年、ロシアの共産党は世界最初の社会主義国を作りました。これが、ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国)です。ソビエト連邦では、ロシア帝国の広大な国土のほとんどを手に入れました。第二次世界大戦後は、その軍事力の強さから、世界の超大国としてアメリカと対立していました。これが冷戦の始まりです。しかし、経済の停滞や民族間の対立から、1991年にソ連は15の国に分裂してしまいました。以降の、ロシアはソビエト連邦の一部だった頃に比べ、世界での政治的・経済的な力関係が大きく低下しています。ロシアは最も人口が多く、国土も最も広い国です。カザフスタンなどの中央アジア諸国やアゼルバイジャンなどのカフカス地域諸国はソ連を離れ、完全な独立国家となりました。

バルト3国
バルト海沿岸には、リトアニア、ラトビア、エストニアの3カ国があります。これらの国では、プロテスタントやカトリックが多く住んでいます。ロシア革命後、ロシア帝国から解放されましたが、1940年にソビエト連邦に再併合されました。1991年になると、バルト3国はソ連から完全に独立を果たしました。

ロシアの成立

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 ソ連がロシアに変わってから、土地も国境もずいぶん変わりました。ヨーロッパの海の玄関口であるバルト海や黒海では、海に面した国土がずいぶん減りました。また、多くの国がソ連を脱退したため、中央アジアの国境が変わりました。そのため、ウクライナやカザフスタンなど、かつてソ連に属していた国からロシアに移住してきたロシア系民族もいます。しかし、それらの国に留まる者も多く、民族紛争の火種を残しました。2014年には、ロシア人が多く住む地域をめぐって、ロシアとウクライナの間で対立が起きました。その後、2022年からロシアが一方的にウクライナに侵攻しました。

CISの結成と加盟国との関わり

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CISの分布

 ソ連解体後、ロシアは出来るだけ多くの共和国と仲良くしようとしました。そこで、旧ソ連構成国と一緒になって独立国家共同体(Common wealth of Independent States)を作り、政治的・経済的に協力し合う緩やかな独立国家の集まりとしました。独自の議会や憲法を持たず、首脳会議や閣僚会議も必要な時にしか開かれません。しかし、ソ連の一部だったバルト三国やトルクメニスタンは参加せず、後にロシアと大喧嘩したジョージアも脱退しました。カザフスタンとベラルーシは、今加盟している9カ国のうちの2カ国です。この共同体が出来た最大の理由は、世界各地に設置されたソ連時代の核兵器や軍事基地を処理するためでした。これらの基地は全てロシアが管理するようになっていたため、CISは軍事・安全保障面での協力が中心で、経済面での協力はあまり行われていません。このように、CISは緩やかなつながりのある国の集まりなので、EUやアメリカに近づこうとする国もあります。

多様な民族と人々の生活

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多様な民族を抱えるロシア

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 ロシアは多民族国家ですが、そのうち約8割がスラブ系のロシア人です。

 トルコ系やモンゴル系など大小100以上の民族からなります。このうち、人口50万人を超える民族は15もあります。また、北極海周辺には、アジア系少数民族の住む大きな共和国や自治管区があります。さらに、カフカス地域やヴォルガ川流域には、チェチェン人やタタール人の住む共和国が多く見られます。

 
ギリシャ文字からキリル文字が生まれ、英語のアルファベットとは大きく異なります。

 総人口の多くを占めるロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語派に分類される言語を話しています。また、アルタイ語族やウラル語族の言語を話す人々もいます。公用語はロシア語で、キリル文字が使われており、様々な民族語が話されています。宗教は東方正教(ロシア正教)が最も一般的ですが、イスラム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒もいます。

国境地域の課題

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 ロシアの国境付近では、民族や土地をめぐる紛争が絶えず、外国人投資家の悩みの種となっています。特に、カスピ海と黒海に挟まれたカフカス地域は異民族が多く、ロシアのチェチェン共和国のように政治的に不安定な場所も少なくありません。2008年には、ソビエト連邦の解体により独立したロシアとグルジアの国境で、軍事衝突がありました。民族間の対立が大きな原因となりました。日本は極東にある北方領土の返還を求めていますが、まだ解決していません。

移行経済時代の暮らし

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社会経済変化と人口の変化

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 ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)では、共産党が計画経済を運営していました。計画経済とは、生産、流通、販売の全てを中央の計画機関によって支配する経済体制をいいます。ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊して民間企業による市場経済に転換した時、ロシア国民の生活は大きく変わりました。資本主義の発展とともに、経済の効率化が最も重視されるようになりました。この結果、非効率的な国営企業は閉鎖され、多くの人々が職を失いました。計画経済から市場経済への転換が早すぎたため、ロシア経済は他の東欧諸国の経済よりも混乱しました。ロシアの国内総生産(GDP)は6年連続で減少し、世界恐慌時のアメリカよりも悪くなっています。

 ソビエト連邦時代、国民は教育、医療、社会保障を無料で受けていました。しかし、ソビエト連邦の崩壊後、これらを無料で受けられず、それに代わる制度も完全に整備されていません。しかし、物価が上がり、新たな富裕層が生まれても、失業者や退職者など弱者の生活は苦しく、貧富の差は大きくなる一方です。また、外国資本が急成長しているヨーロッパロシアとそれ以外の地域では、所得に大きな差があります。したがって、このような差を解消しなければなりません。ロシアでは自殺者やアルコール中毒者が増えているだけでなく、出生率が下がっているため、人口が減り続けています。

移行経済中の人々の暮らし

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ロシアの都市部に住む人々は、郊外にある農場を借りて、週末に日帰りや泊まりがけによく出かけます。ダーチャの農園で野菜を育てるのは昔から息抜きとして行われてきました。

 市場経済への転換による混乱で、食料品や日用品の不足は深刻でした。当時、小売店に並ぶのはロシアの風物詩とさえいわれました。しかし、今は経済が良くなり、消費財も増え、買い物も以前ほど苦労しなくなりました。日用品が充実し、耐久消費財の需要が高まり、自家用車が急速に普及するなど、人々の暮らしがどんどん良くなってきています。

 大きな変化の中で、変わらないものもあります。都市部ではほとんどの人がマンションに住み、田舎ではほとんどの人が小さな家に住んでいます。大都市では約半数の家が郊外に簡素な木造の別荘ダーチャを持ち、週末や夏休みを過ごしています。庭では農作業を楽しみ、手に入りにくい野菜や果物を採って生計を立てています。スポーツも自由な時間の過ごし方として人気があり、バレエや演劇、コンサートを好む人も少なくありません。

大都市の成長

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モスクワ副都心

 政治体制が変わった後、経済危機が起こり、人々は就職先があるかどうかわからなくなりました。そのため、経済基盤の弱い農村部や地方の小都市から大都市や地方都市に人々が移動するようになりました。ウクライナや中央アジア、バルト三国を離れた多くのロシア人が大都市に移り住んでいます。

 首都モスクワは、人口1000万人を超えるヨーロッパ最大の都市です。1990年代以降、急速に発展を遂げましたが、その成長の多くは金融などの第三次産業で起こっています。高層ビルが立ち並び、郊外には大型ショッピングモールが立ち並ぶ副都心のオフィス街は、市場経済への転換で生まれた新しいロシアの姿を表しています。モスクワが世界で最も物価の高い都市と言われるのは、それだけ多くの人が住み、移動が容易だからです。その他、サンクトペテルブルクやニジニノヴゴロド(旧ゴーリキー)など、ヨーロッパロシアの大都市も中心都市として大きく発展してきました。

大きく変化したロシアの産業

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ロシアの農業

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 農業分野でも、ロシアの市場経済化の影響を感じさせます。ソ連時代は、コルホーズ(集団農場)とソフホーズ(国営農場)によって大規模な生産と販売が行われていました。しかし、市場経済に移行すると、土地の個人所有が認められ、多くのコルホーズやソフホーズが民間企業に再編され、運営されるようになりました。また、生産性の高い企業的な農業への転換が容易でなく、農業法人の成長も遅れています。極東では、農産物を近隣のアジア諸国から購入する傾向が強まっています。さらに、家族経営の農家はあまり増えていません。そのため、穀物やテンサイ、油脂用の向日葵などは、ほとんどが個人所有の大農場で栽培されています。一方、ソ連時代から認められている農場では、野菜や果物、肉などを栽培し、定期市や路上で販売されています。

【現代ロシアの農業形態】

  • 農業組織
  • 住民経営:自宅付属地や市民菜園つき別荘ダーチャなどでの小規模自給経営
  • 農民経営:個人独立農場
 
チェルノーゼム

 ロシアの自然環境は南北で異なり、東西に伸びる農業地帯も少なくありません。チェルノーゼムのある黒土地帯では、小麦を中心とした穀物栽培が盛んです。ヨーロッパロシアではライ麦やジャガイモの栽培が盛んで、豚や牛を飼育する混合農業が見られます。沿岸部では漁業が盛んで、日本向けの水産物製造が主な産業となっています。

 このように、ロシアの主要作物は、小麦、大麦中心の穀物栽培とジャガイモ、テンサイなどといった耐寒性作物です。中でも、小麦はロシアの主要輸出品目です。ロシアは作物を栽培出来る土地が豊富ですが、単位面積あたりの生産性はヨーロッパに比べると下がります。

ロシアの鉱工業

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 商業・サービス業の成長に比べ、工業の再生は各部門で大きく異なっています。ソビエト連邦時代には、ウラル山脈の南部やクズネツク炭田といった場所が、様々な種類の資源を結びつけてコンビナート方式の重工業地帯となりました。コンビナートとは、鉄鉱石や石炭などの資源とそれを利用する産業を結びつけて、計画的に設置された工業地帯をいいます。ソビエト連邦崩壊後、経済の混乱でこれらの重工業は大きな打撃を受け、低迷していましたが、少しずつ回復してきています。

 ここ数年、ロシアの製造業が世界的に注目されています。ロシア連邦に加盟して以来、サンクトペテルブルクの港湾や交通網は急速に発展してきました。また、自動車や家電などの産業が大きく変化し、製造業の中心地となろうとしています。2005年には経済特区を設け、外国資本を導入し、欧米や韓国、日本などの企業も入ってきました。2005年には、研究開発のための技術導入区と工場生産のための工業生産区が設置されました。一方、繊維産業を始めとする軽工業は、安価で高品質な外国製品に押され、不振が続いています。

ロシアのサービス業

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 市場経済への転換により、特に第三次産業が成長しました。生産活動が民営化され、価格の自由度が高まったからです。特に携帯電話やインターネットの普及で、通信・情報部門の成長は驚くばかりです。また、商業・サービス業も急成長しました。スーパーマーケットをはじめとする商業施設は、ロシア各地で見られます。

進展する資源開発と厳しい自然環境

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資源大国ロシア

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 現在のロシアでは、鉱物資源の開発が産業・経済の大部分を占めており、原油や天然ガスの輸出量は世界でも上位に位置しています。西シベリアは、石油や天然瓦斯が多く作られている場所です。以前は、永久凍土から原油や天然ガスを取り出すのに高い費用がかかるため、人々はそれを実行に移せませんでした。しかし、今では、それを実現しようとする動きが加速しています。また、金や鉄鉱石の埋蔵量も世界有数です。

 シベリアには、プラチナ、金、銅の鉱山があります。極東には、ダイヤモンド鉱山があります。ヨーロッパロシアでは、沿海州とウラル地方に最も多くの原油と天然ガスが埋蔵されています。チュメニには国内最大の油田があります。エニセイ川やヴォルガ川では、大きな水力発電所が同時に建設されています。

 ロシアの対外貿易を見ると、これらの鉱物資源の輸出が外貨獲得の大半を占めているため、資源を加工して付加価値をつける産業が十分に育っていません。また、すでにある油田やガス田の有効利用よりも、新たな鉱脈や鉱床の開発が重視されてきました。そのため、乱開発や自然環境の破壊といった問題が発生しています。

開発を阻む広大な国土

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シベリア鉄道

 ロシアは天然資源が豊富ですが、国土が広いため、なかなか国が発展しません。首都モスクワと日本海に面したウラジオストクの間には7時間の時差があります。また、地形的に物資の運搬や通信が困難です。エニセイ川以東は山が多く、人も少ないので資源開発が進んでいません。鉄鉱石を除き、ロシアの鉱物・エネルギー資源の多くは、東部と北部に偏って分布しています。そこで、シベリア鉄道バム鉄道、パイプラインなどの長距離輸送路を整備し、これらの資源を輸出して国内で利用出来るようにしました。

シベリア鉄道とバム鉄道
 シベリア鉄道は1904年に開通し、ロシア西部と極東のウラジオストクを結ぶ全長9300キロメートルの鉄道です。バム鉄道は第2シベリア鉄道とも呼ばれ、バイカル湖の北側を回るシベリア鉄道の支線です。1984年に開通し、バイカルアムール鉄道ともいわれています。

ロシアと世界の結びつき

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 北極を中心に描かれた地図を見ると、カナダ、アメリカ、日本、中国、EUが、世界最大の国であるロシア(EU)に寄り添っています。つまり、ロシアは世界経済に大きな影響を与える国々に囲まれているため、地理的・経済的に有利な立場にあります。

 ロシアは、資源大国です。シベリアや北極海沿岸には石油や天然瓦斯などの地下資源がたくさんあり、石油や天然ガスを中国や日本に送るパイプラインの建設も計画されています。しかし、現時点、エネルギーの結びつきはEU諸国が中心です。サハリン(樺太)の石油や天然ガス、極東ロシアの石炭、海産物、木材などが日本への重要な輸出品となっています。

  1. ^ 実教出版(※高校教科書の修正ページ)『chirekiR4_702_02.pdf』
  2. ^ 【地A-308】令和4年度から令和5年度への訂正・更新一覧.pdf
  3. ^ 実教出版(※高校教科書の修正ページ)『chirekiR4_702_02.pdf』
  4. ^ 【地A-308】令和4年度から令和5年度への訂正・更新一覧.pdf
  5. ^ r4-5_e_shakai_chizu.pdf
  6. ^ 【地A-308】令和4年度から令和5年度への訂正・更新一覧.pdf