高等学校歴史総合/ファシズムの台頭
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ファシズム
編集第一次世界戦争後、国民の投票権と誰でも平等な社会を目指すような運動が広がりました。一方、今までの体制を守りたい指導者は国民の自由を奪うような独裁政治を行ったり、自国の軍隊を強くしたり、他国に攻め込んだりして、自国中心の経済圏を作ろうとしました(ファシズム)。1922年、イタリアのファシスト党は地主や軍隊の応援を受けて政治を任されるようになりました。そして、ファシスト党のベニート・ムッソリーニが独裁政治を行って、誰でも平等な社会を目指すような運動を力ずくで制限しました。同じようにドイツでも、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)が力を持ち始めました。さらに、ソ連のヨシフ・スターリンも独裁政治を行って国民の自由を奪いました。ファシズムは日本の軍隊・政治家・社会運動家にも広がりました。
ナチ党の政権掌握
編集※詳しい内容は、「世界史探究」の「世界恐慌とヴェルサイユ体制の破壊Ⅲ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。
世界恐慌はドイツ経済も苦しみました。アドルフ・ヒトラーはナチ党の指導者として、上手な演説と宣伝活動から支持者を次々と増やしました。1930年の議会選挙でアドルフ・ヒトラーが当選されました。1933年1月、アドルフ・ヒトラーはパウル・フォン・ヒンデンブルグ大統領の推薦で首相になりました。アドルフ・ヒトラーは国会議事堂放火事件を理由として共産党の議員を追い出しました。次の議会選挙でナチ党の議員数を大幅に増やしました。アドルフ・ヒトラーは全権委任法を定めて、アドルフ・ヒトラーの思い通りに法律を作れるようになりました。こうして、アドルフ・ヒトラーは独裁者になりました。1934年、アドルフ・ヒトラーはパウル・フォン・ヒンデンブルグ大統領の他界から国の最高指導者(総統)になりました。国民は怖がり何も言えなくなりました。また、アドルフ・ヒトラーはドイツ人を大切にしたい意思を国民に伝えましたが、ユダヤ人をいじめるきっかけにもなりました。