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 詳しい内容は、「世界史探究」の「第一次世界大戦とロシア革命Ⅱ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

社会主義革命としてのロシア革命

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1920年5月の演説

当時、ロシアは第一次世界大戦から食料も全然足りなくなりました。その結果、労働者がデモを始めたり、仕事を休んだりして、三月革命につながりました。ロシア帝国のニコライ2世は三月革命以降に皇帝を退いて、ロシア帝国も終わりを迎えました。その後、ウラジーミル・レーニンが「もう戦争はやめましょう。国内政治はみんなで話し合って決めていきましょう。」と言い出しました。そして、十一月革命からウラジーミル・レーニンが新しく政権を取りました。ウラジーミル・レーニンは「他国から土地を奪ったりお金を取ったりしないで平和な話し合いをしましょう。そして、土地はみんなで分け合って使いましょう。」と他国に意見を出しました。その結果、ロシアはドイツとオーストリアの和解から第一次世界大戦の参加国を抜け出します。

ソヴィエト政権に対して、色んな人が反対しました。国内でも「元の帝国がいい。」とデモがありました。列強諸国も「社会主義が広がると困ります。」とソヴィエト政権の邪魔をしようとして戦争を始めました。当時の日本も列強諸国の味方になり、シベリアに軍隊を送りました。しかし、ソヴィエト政権は軍隊(赤軍)を強くしたり、デモを押さえたりして、大変な時期を何とか乗り越えました。

社会主義革命とその広がり

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ソヴィエト政権は、世界中に共産主義の考え方を広めるためにコミンテルン(第三インターナショナル)を作りました。共産主義の考え方はカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』を参考にしています。『共産党宣言』の内容は「誰でも平等な社会を作るために、みんなで分け合って使わなければならない。」と記しています。共産主義の考え方はドイツとかハンガリーで広まらず、アジアの民族運動で共産主義の考え方が広まっています。中国も共産主義の考え方から中国共産党が生まれました。さらに、日本・台湾・朝鮮でも共産党が出来ました。このように、東アジア全体で共産主義の考え方が広がりました。

1920年代のソ連

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1922年、ロシアはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)になり、益々大きな力を持つようになりました。1924年、ウラジーミル・レーニンが亡くなりました。その後、ヨシフ・スターリンが政権を取りました。ヨシフ・スターリンは自分と意見が合わない人を追い出しました。その一方で、五か年計画に基づいて工場を数多く作りました。この計画は成功して、他国の指導者も「私達もこんな風に国を発展させたい。」と憧れるようになりました。