高等学校歴史総合/第一次世界大戦

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 詳しい内容は、「世界史探究」の「第一次世界大戦とロシア革命Ⅰ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

第一次世界大戦

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19世紀に入ると、オスマン帝国が弱くなりました。その結果、バルカン半島に様々な国が次々と生まれました。様々な国が出来ると、土地争いをするようになりました。その頃、ドイツが力をつけるようになり、勢力を広げようとしました。それを見て、イギリスとフランスとロシアが手を組むようになりました。一方、ドイツもオーストリアと手を組むようになりました。1914年、バルカン半島のサライェヴォで暗殺事件がありました(サライェヴォ事件)。サライェヴォ事件は地域限定の問題だと思われていましたが、各国の同盟関係から第一次世界大戦に発展しました。

最初、ドイツ軍がフランスに攻めました。しかし、フランス軍が領土を取られないように防ぎました。結局、ドイツ軍とフランス軍は深い穴を掘って、そこから戦うようになりました。やがて、アメリカも第一次世界大戦に参加してきて、新しい武器も使われ始めるようになり、戦争はさらに激しくなりました。戦争が長引くと、多くの兵士が怪我をしたり、亡くなったりしました。また、普通の人の生活もかなり大変になりました。第一次世界大戦はロシア革命とドイツの革命をきっかけに終わりました。

第一次世界大戦の影響

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第一次世界大戦が大きくなると、植民地の人も兵士として戦場に送られました。その時、植民地の人は「これを機会に、もっと自由に自国の政治を決められるようになるかもしれない。」と期待して、第一次世界大戦に協力しました。また、イギリスとフランスとロシアは、西アジアのオスマン帝国と仲良く出来なくなりました。特に、イギリスはアラブ人とユダヤ人をそれぞれ招いて内緒で話し合いをしました。その話し合いが分かると、アラブ人とユダヤ人の間でパレスチナ地域を争うようになりました。

日本の第一次世界大戦

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第一次世界大戦の時、日本はイギリスの味方としてドイツと戦いました。中国の山東半島へ日本の軍隊が行ったり、遠い地中海まで軍艦を送ったりしました。このように、日本はそんなに大きな戦いをしていません。第一次世界大戦中、ヨーロッパ諸国が日用品・武器を作れなくなったので、日本が武器・日用品を数多く作り、ヨーロッパ諸国に送りました。だから、日本経済がかなり良くなりました(大戦景気)。大戦景気の頃、富裕層も増加しました(成金)。