高等学校歴史総合/第一次世界大戦

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 詳しい内容は、「世界史探究」の「第一次世界大戦とロシア革命Ⅰ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

 バルカン半島で起こった一つの事件が、長期間続き、全世界に影響をもたらす大きな戦争のきっかけとなりました。科学の力で大量殺戮が出来るようになりました。史上最多の犠牲者を出した世界大戦は、何が原因で発生したのでしょうか?その主な特徴は何でしょうか?世界をどのように変えたのでしょうか?

第一次世界大戦 編集

 オスマン帝国が崩壊し始めた19世紀以降、バルカン半島には数多くの独立国が誕生しました。しかし同時に、各民族の間で領土争いが始まりました。また、19世紀終わり頃に悪化したドイツの帝国主義的な拡大政策は、イギリス、フランス、ロシアを近づけました。一方、ドイツはオーストリア・ハンガリー帝国、ブルガリア、オスマン帝国と協定を結んで協力し合うようになりました。1914年6月、バルカン半島のサラエボで、セルビアの民族主義者の青年が、オーストリア王位継承者とその妻を殺害する事件が発生しました(サライェヴオ事件)。サライェヴオ事件は、オーストリア・ハンガリー帝国の人種的緊張から始まった地方の事件でした。しかし、国同士の外交関係から、全世界に影響を与える世界大戦に発展してしまいました。それも列強が、国民の力を借りようとした総力戦でした。

 当初、ドイツ軍は電撃的に前進しましたが、フランス軍に妨害されて、いったん塹壕が作られると戦線は行き詰まりました。1917年、アメリカもドイツとの戦争に参戦しました。発達した科学技術は軍事に生かされ、戦車、潜水艦、飛行機、毒ガスなどの新兵器が作られました。戦争が進むにつれて、多くの人が亡くなり、戦争が終わった後の生活が大きく変わりました。第一次世界大戦は、これまでにない規模の戦争でした。ロシアが自国の革命のために戦争をやめると、ドイツも革命を起こしたので終わりました。

第一次世界大戦の影響 編集

 新たな戦場にやってきた兵士の大半は、植民地からでした。植民地の中には、戦後の独立に向けて、人や物を差し出した地域もありました。西アジアの勢力圏をめぐっては、イギリス、フランス、ロシアがオスマン帝国と対立していました。特にイギリスは、アラブ人やユダヤ人との秘密交渉で戦争を有利に進めました。これが、現在も続くパレスチナ問題を招いています。

日本の第一次世界大戦 編集

 日英同盟の名目で、日本もドイツに参戦しました。中国の山東半島でドイツ軍と戦って占領し、地中海に軍艦を送りました。死者が出たとはいえ、日本は主戦場から外れていたので、経済が戦争中に急成長しました。ヨーロッパで落ち込んでいた武器や日用品の輸出増加だけでなく、成金も登場しました