漢詩とは

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私たち日本人が一般的に漢文を定義する場合、「漢文(古典中国語)の文法にのっとって、形式を守って作られた韻文」と言える。

漢詩の歴史

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本来、漢詩は民間歌謡の歌詞であり、楽器の伴奏の合わせて歌うものであった。しかし、時代が経つにつれて詩は調子をつけて読むものとなって、歌とは別のものとなった。

漢詩の歴史は、古代の歌謡を集めた中国最古の詩編『詩経』に始まる。この中に収録されている詩の中でも最も古いものは紀元前1000年くらいのものであり、編纂されたのも、紀元前5世紀ごろの春秋時代とされている。

一方、長江流域に栄えていた楚では『楚辞』という詩集が編纂された。『楚辞』は辞賦と呼ばれる、やはり民間歌謡から派生した韻文である。ただし、こちらは『詩経』に見られるような規則はゆるく、どちらかといえば文(散文)に分類されることが普通である。

その後の漢詩の長い歴史の中でも、李白・杜甫などの多くの詩人を輩出した唐代(618年-907年)は漢詩の黄金時代であった。

漢詩の形式

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古体詩

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  • 古詩
    • 四言古詩
    • 五言古詩
    • 七言古詩
  • 楽府

近体詩

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  • 排律
    • 五言排律
    • 七言排律
  • 律詩
    • 五言律詩
    • 七言律詩
  • 絶句
    • 五言絶句
    • 七言絶句

作品

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詩経

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楚辞

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漢・六朝

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唐代詩人

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唐代以降

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日本漢詩

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発展内容―日本文学への影響

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王維と阿倍仲麻呂

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白楽天

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白楽天の作品は早くから日本に入ってきて瞬く間に平安貴族の間に広がった。藤原公任が編集した日中漢詩の秀句・和歌集である『和漢朗詠集』は圧倒的に白楽天のものが多く引用されていることにもそれは示されている。ここでは、白楽天の影響を受けた作品や彼の作品を利用したものを見てみよう。

『大鏡』

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大鏡』には菅原道真が大宰府に左遷されたときの作品『不出門』の頷聯(がんれん)(三・四句目)は白楽天の『香炉峰下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁』の頷聯を踏まえていると述べられている。

『枕草子』

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清少納言は『枕草子』にて白楽天の作品集『白氏文集』に即した話題を二つ示している。ここでそれらを見てみよう。

文は文集。文選。博士の申文。(一九七段)
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらふに「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ」とおほせらるれば、御格子上げさせて御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、此の宮の人には、さべきなめり。」といふ。(二九九段)