法学民事法コンメンタール民法第3編 債権 (コンメンタール民法)

条文

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債務不履行による損害賠償

第415条
  1. 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
  2. 前項の規定により損害賠償の請求をすることができる場合において、債権者は、次に掲げるときは、債務の履行に代わる損害賠償の請求をすることができる。
    1. 債務の履行が不能であるとき。
    2. 債務者がその債務の履行を拒絶する意思を明確に表示したとき。
    3. 債務が契約によって生じたものである場合において、その契約が解除され、又は債務の不履行による契約の解除権が発生したとき。

改正経緯

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2017年改正前の条文は以下のとおり。

債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。
  1. 債務不履行に加え、「履行不能」の場合も含むことを明示した。
  2. 債務者の帰責事由の要件を限定した。
  3. 判例・通説であった『填補賠償』を条文化した。

解説

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債務者が債務を履行しないときの損害賠償について定める。客観的要件として債務不履行の事実と、それと因果関係ある損害の発生、主観的要件として債務者の帰責事由を要求する。効果は損害賠償請求である。不法行為による賠償請求に比べ、損害賠償者の主観的要件の証明が軽減される。

債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときとは

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例えば、AとBが売買契約(民法第555条)を結んだとき、それによって発生する債務は次のようになる。

「債務者である小売商Aは、平成10年10月10日までに債権者Bに対し米10キロをBの住所において引き渡さなければならない」

そこで具体的な内容となるのは「いつ(=平成10年10月10日まで)」「どこで(=Bの住所)」「誰が(=小売商A)」「何を(=米10キロ)」「誰に(B)」「どうする(渡す)」か、というものである。無論日時や場所については契約で詳細に定めないこともあるだろう。その場合は当事者の合理的意思を解釈したり、法律によって補充・規定したりするわけである(目的物について401条402条482条483条、時期について412条、履行者について446条474条、履行の相手方について478条479条480条、場所について484条485条但書等)。債務者がこの債務内容を満たさないとき債権者には損害賠償請求権という新たな債権が発生する。しかしながら、例えば本事例において精米していないゴキブリ入りの米8キロを平成10年の10月5日に債務者の事務所に持参したところで、直ちに損害賠償請求ができるようになるわけではない。債権者が受領を拒絶してまともな米(本事例で当事者の合理的意思解釈としては精米された清潔なものを対象とするのは当然である)をよこせと催告すれば、債務者としてはなお、期日までに債務の内容通りの履行をするかもしれず、この未精米の米8キロを持参するという行為によって債権者に損害生ずるとは限らないからである。しかし、Aが任意に受け取ってしまえばこれによって余計な手間や金銭的損害(買い主側の代金支払い債務が当然に消滅ないし縮減されるわけではないため)を発生させるであろうし、履行期が到来していなくともその米が特殊な高級品であり、市場からの調達が不可能になったような場合にはその時点で債務不履行が確定し、債務者にはそれによる損害が発生する場合がありうる。このことから、学説及び判例は415条における損害を発生させるべき債務不履行の態様を履行期に履行がなされなかったという履行遅滞、履行自体はなされたが時期・場所・方法・目的物につき債務内容に適合していなかったという不完全履行(民法は誰が誰にという問題については弁済の有効性の問題として扱う)、そして履行不能(415条後段)という三つに分類して考察する。確かに415条の文言上は履行不能を他と区別するに止まるが、民法の他の条文においては「履行の請求を受けた時から遅滞の責任を負う」(民法第412条3項)などとしており、履行遅滞と他の債務履行との条文上の区別はなされているとも言える。

履行遅滞

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履行が可能であること
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履行期を過ぎていること
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同時履行の抗弁権や留置権が無いこと
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伝統的には、違法性が無いことと言い換える。

不完全履行

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引渡債務の場合
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欠陥あるものを引き渡した場合
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引き渡したものから損害が他へ拡大した場合
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行為債務の場合
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結果債務
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手段債務
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契約上の義務の拡大

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安全配慮義務
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ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」(最判昭和50年2月25日)
不法行為との違い
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契約プロセスにおける当事者間の注意義務
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契約締結前
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契約終了後
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債務の履行が不能であるときとは

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履行不能

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債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときとは

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倉庫が放火されたとき

これによって生じた損害とは

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発生した損害と債務不履行の事実との間に因果関係があることが要件となる。

この点につき、民法第416条が債務不履行時の損害賠償の範囲について定めている。

損害賠償要件の例外

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金銭債務の特則

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当事者の特約

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賠償を請求とは

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損害賠償の方法

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民法第417条が金銭賠償の原則を定める。

損害賠償の減額

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過失相殺
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民法第418条が損害賠償の減額について定める。

損益相殺
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  • 建築業者であるAはSとの間に建物の建築請負契約を結んだが、注文者Sの責めに帰すべき事由によって工場に着工できなくなったため契約を解除し報酬を得ることはできなかったものの、材料費などのコストは支出せずに済んだ。
    債務不履行によって債権者がα損害のみならずβ利益(消極的利益を含む)をも得た場合、全ての損害分を債務者に賠償させるのは当事者の公平に反するので、利益分は差し引いた分だけを賠償の対象とすべきという原則がある(民法第536条2項類推)。損益相殺といい実務上確立している。
損益相殺が認められるものと認められないもの
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脚注

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参考文献

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  • 内田貴「民法Ⅲ 債権総論・担保物権」

参照条文

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判例

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  1. 損害賠償請求 (最高裁判決 昭和28年10月15日) 民法第545条3項
    民法第545条第3項による損害賠償請求について損害額算定の標準とすべき時期
    物の引渡を目的とする債務の不履行による契約解除を理由として損害賠償の請求がなされる場合において、右損害額の算定には特別の事情がないかぎり契約解除当時における目的物の価格を標準とすべきである。
  2. 損害賠償請求(最高裁判所判決昭和30年3月25日)失火ノ責任ニ関スル法律
    債務不履行による損害賠償と「失火ノ責任ニ関スル法律」の適用の有無
    債務不履行による損害賠償については「失火ノ責任ニ関スル法律」の適用はない。
    • 「失火ノ責任ニ関スル法律」は「民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス……」と規定するところであつて、債務不履行による損害賠償請求の本件に適用のないことは明らかである。
  3. 売買代金返還請求 (最高裁判決  昭和34年09月17日) 民法第416条, 民法第612条
    物の引渡を目的とする債務の不履行を原因として契約が解除された場合における填補賠償額算定の標準時期
    買主が目的物を引き渡さないため売買契約が解除された場合において、売主の受くべき填補賠償の額は、解除当時における目的物の時価を標準として定むべきで、履行期における時価を標準とすべきではない。
  4. 不動産売買契約解除確認等請求 (最高裁判決 昭和35年04月21日)
    不動産の二重売買の場合において売主の一方の買主に対する債務が履行不能になる時。
    不動産の二重売買の場合において、売主の一方の買主に対する債務は、特段の事情のないかぎり、他の買主に対する所有権移転登記が完了した時に履行不能になる。
  5. 売掛代金請求(最高裁判決 昭和47年01月25日)民法第570条,商法第526条
    商人間の不特定物を目的とする売買における不完全履行と代物請求権
    商人間の不特定物を目的とする売買において、瑕疵のある物が給付された場合においても、商法526条1項の適用の結果、買主において契約を解除しえず、また損害の賠償をも請求しえなくなつたのちにおいては、買主は売主に対し、もはや完全な給付を請求することはできないものと解すべきである。
  6. 土地明渡請求 (最高裁判決  昭和35年06月21日)
    債務者の使用人が履行補助者と認められた事例。
    賃借家屋を使用し家具の製造を業としている賃借人が住込で雇い入れた工員は、右賃借家屋の使用については、賃借人の義務の履行補助者にあたる。
  7. 約束手形金請求 (最高裁判決  昭和36年12月15日)民法第541条民法第570条
    2017年改正により解決
    不特定物の売買における目的物受領後の不完全履行による契約解除の可否。
    不特定物の売買において給付されたものに瑕疵のあることが受領後に発見された場合、買主がいわゆる瑕疵担保責任を問うなど、瑕疵の存在を認識した上で右給付を履行として容認したと認められる事情が存しない限り、買主は、取替ないし追完の方法による完全履行の請求権を有し、また、その不完全な給付が売主の責に帰すべき事由に基づくときは、債務不履行の一場合として、損害賠償請求権および契約解除権をも有するものと解すべきである。
  8. 自動車所有権確認等請求 (最高裁判決  昭和39年10月29日)民法第416条民法第708条道路運送法第4条1項
    免許を受けるべきであるにかかわらずこれを受けていない自動車運送事業の経営により得べかりし営業利益の喪失を理由とする損害賠償請求を認容した事例。
    自動車の売主が債務の履行を遅滞したため、買主が右自動車を運送事業の用に供し、運送賃を取得することができなかつた場合には、その買主が当該運送事業の免許を受けるべきであるにかかわらずこれを受けていないときでも、債務不履行により得べかりし営業利益喪失の損害をこうむつたものとして、売主に対しその賠償を請求することができる。
  9. 手附金返還請求 (最高裁判決  昭和41年03月22日) 民法第533条
    双務契約の当事者の一方が債務の履行をしない意思を明らかにした場合と同時履行の抗弁権
    双務契約の当事者の一方が自己の債務の履行をしない意思を明確にした場合には、相手方が自己の債務の弁済の提供をしなくても、右当事者の一方は、自己の債務の不履行について履行遅滞の責を免れることをえないものと解するのが相当である。
  10. 損害賠償等請求(最高裁判決 昭和41年09月08日) 民法第561条
    他人の権利を売買の目的とした場合の売主の担保責任と債務不履行による責任
    他人の権利を目的とする売買の売主が、その責に帰すべき事由によつて、該権利を取得してこれを買主に移転することができない場合には、買主は、売主に対し、民法第561条但書の適用上、担保責任としての損害賠償の請求ができないときでも、なお債務不履行一般の規定に従つて損害賠償の請求をすることができるものと解するのが相当である。
  11. 所有権移転登記及び仮登記抹消登記手続請求 (最高裁判決 昭和46年12月16日)民法第543条
    不動産の二重売買における一方の買主のための仮登記の経由と他方の買主に対する履行不能の成否
    甲が乙に対して不動産を売り渡した場合において、所有権移転登記未了の間に、その不動産につき、丙のために売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記がなされたというだけでは、いまだ甲の乙に対する売買契約上の義務が履行不能になつたということはできない。
  12. 損害賠償、敷金返還請求(最高裁判決 昭和50年01月31日)民法第709条商法第665条
    不法行為又は債務不履行による家屋焼失に基づく損害賠償額から火災保険金を損益相殺として控除することの適否
    第三者の不法行為又は債務不履行により家屋が焼失した場合、その損害につき火災保険契約に基づいて家屋所有者に給付される保険金は、右第三者が負担すべき損害賠償額から損益相殺として控除されるべき利益にはあたらない。
  13. 損害賠償請求(最高裁判決 昭和50年2月25日)民法1条2項,民法167条1項,国家公務員法第3章第6節第3款第3目,会計法30条
    「安全配慮義務」を「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」と定義した上で。
    1. 国の国家公務員に対する安全配慮義務の有無
      国は、国家公務員に対し、その公務遂行のための場所、施設若しくは器具等の設置管理又はその遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものと解すべきである。
    2. 国の安全配慮義務違背を理由とする国家公務員の国に対する損害賠償請求権の消滅時効期間
      国の安全配慮義務違背を理由とする国家公務員の国に対する損害賠償請求権の消滅時効期間は、10年と解すべきである。
  14. 損害賠償(最高裁判決 昭和55年12月18日)民法第412条
    1. 安全保証義務違背を理由とする債務不履行に基づく損害賠償債務の履行遅滞となる時期
      安全保証義務違背を理由とする債務不履行に基づく損害賠償債務は、期限の定めのない債務であり、債権者から履行の請求を受けた時に履行遅滞となる。
    2. 安全保証義務違背の債務不履行により死亡した者の遺族と固有の慰藉料請求権の有無
      安全保証義務違背の債務不履行により死亡した者の遺族は、固有の慰藉料請求権を有しない。
      • 債権者(被傭者・被害者)と雇用契約に基づく安全保証義務を負う債務者(雇用主)らとの間の雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係の当事者でない債権者の遺族らが雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係上の債務不履行により固有の慰藉料請求権を取得するものとは解しがたいから、債権者の遺族は慰藉料請求権を取得しなかつたものというべきである。
      • 別途、不法行為に基づく損害賠償請求を必要とする。
  15. 損害賠償(通称 自衛隊員遺族損害賠償) (最高裁判決 昭和56年02月16日)民法第1条2項
    国の国家公務員に対する安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求と右義務違反の事実に関する主張・立証責任
    国の国家公務員に対する安全配慮義務違反を理由として国に対し損害賠償を請求する訴訟においては、原告が、右義務の内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張・立証する責任を負う。
  16. 損害賠償 (最高裁判決 昭和59年04月10日)民法第623条
    宿直勤務中の従業員が盗賊に殺害された事故につき会社に安全配慮義務の違背に基づく損害賠償責任があるとされた事例
    会社が、夜間においても、その社屋に高価な反物、毛皮等を多数開放的に陳列保管していながら、右社屋の夜間の出入口にのぞき窓やインターホンを設けていないため、宿直員においてくぐり戸を開けてみなければ来訪者が誰であるかを確かめることが困難であり、そのため来訪者が無理に押し入ることができる状態となり、これを利用して盗賊が侵入し宿直員に危害を加えることのあるのを予見しえたにもかかわらず、のぞき窓、インターホン、防犯チェーン等の盗賊防止のための物的設備を施さず、また、宿直員を新入社員一人としないで適宜増員するなどの措置を講じなかつたなど判示のような事実関係がある場合において、一人で宿直を命ぜられた新入社員がその勤務中にくぐり戸から押し入つた盗賊に殺害されたときは、会社は、右事故につき、安全配慮義務に違背したものとして損害賠償責任を負うものというべきである。
  17. 損害賠償並びに民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償 (最高裁判決  平成6年02月22日)じん肺法第4条じん肺法第13条民法第166条1項,民訴法394条
    1. 雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺にかかったことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点
      雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺にかかったことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、じん肺法所定の管理区分についての最終の行政上の決定を受けた時から進行する。
    2. 慰謝料額の認定に違法があるとされた事例
      炭鉱労務に従事してじん肺にかかった者又はその相続人が、雇用者に対し、財産上の損害の賠償を別途請求する意思のない旨を訴訟上明らかにして慰謝料の支払を求めた場合に、じん肺が重篤な進行性の疾患であって、現在の医学では治療が不可能とされ、その症状も深刻であるなど判示の事情の下において、その慰謝料額を、じん肺法所定の管理区分に従い、死者を含む管理四該当者につき1200万円又は1000万円、管理三該当者につき600万円、管理二該当者につき300円とした原審の認定には、その額が低きに失し、著しく不相当なものとして、経験則又は条理に反する違法がある。
  18. 取締役の責任追及(最高裁判決 平成5年09月09日)商法(昭和56年法第律第74号による改正前のもの)210条[自己株式の取得、現会社法第155条以下],商法第254条3項,商法第266条1項5号,民法第644条
    1. 甲会社が同社のすべての発行済み株式を有する乙会社の株式を取得することと商法210条(旧法)
      甲会社が同社のすべての発行済み株式を有する乙会社の株式を取得することは、商法210条(旧法)にいう自己株式の取得に当たる。
    2. 甲会社が同社のすべての発行済み株式を有する乙会社の株式の売買により損失を被った場合と乙会社に生じる損害
      甲会社が同社のすべての発行済み株式を有する乙会社の指示により同社の株式を売買して買入価格と売渡価格の差額に相当する損失を被った場合、乙会社の取締役は、特段の事情のない限り、その全額を乙会社に生じた損害として、賠償の責めに任ずる。
  19. 損害賠償 (最高裁判決  平成7年04月25日)民法第709条
    1. 胆のうがんの疑いがあると診断した医師が患者にその旨を説明しなかったことが診療契約上の債務不履行に当たらないとされた事例
      医師が、患者に胆のうの進行がんの疑いがあり入院の上精密な検査を要すると診断したのに、患者に与える精神的打撃と治療への悪影響を考慮して手術の必要な重度の胆石症であると説明し、入院の同意を得ていた場合に、患者が初診でその性格等も不明であり、当時医師の間ではがんについては患者に対し真実と異なる病名を告げるのが一般的であって、患者が医師に相談せずに入院を中止して来院しなくなったなど判示の事実関係の下においては、医師が患者に対して胆のうがんの疑いがあると説明しなかったことを診療契約上の債務不履行に当たるということはできない。
    2. 胆のうがんの疑いがあると診断した医師が患者の夫にその旨を説明しなかったことが診療契約上の債務不履行に当たらないとされた事例
      医師が、患者に胆のうの進行がんの疑いがあると診断したのに、患者に対しては手術の必要な重度の胆石症であると説明して入院の同意を得ていた場合に、患者が初診でその家族関係や治療に対する家族の協力の見込みが不明であるので、入院後に患者の家族の中から適当な者を選んで検査結果等を説明する予定でいたところ、患者が医師に相談せずに入院を中止したため家族に対する説明の機会を失ったなど判示の事実関係の下においては、医師が患者の夫に対して胆のうがんの疑いがあると説明しなかったことを診療契約上の債務不履行に当たるということはできない。
  20. 損害賠償 (最高裁判決  平成7年06月09日)民法第709条
    1. 診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準
      新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情がない限り、右知見は当該医療機関にとっての医療水準であるというべきである。
    2. 昭和49年12月に出生した未熟児が未熟児網膜症にり患した場合につきその診療に当たった医療機関に当時の医療水準を前提とした注意義務違反があるとはいえないとした原審の判断に違法があるとされた事例
      昭和49年12月に出生した未熟児が未熟児網膜症にり患した場合につき、その診療に当たった甲病院においては、昭和48年10月ころから、光凝固法の存在を知っていた小児科医が中心になって、未熟児網膜症の発見と治療を意識して小児科と眼科とが連携する体制をとり、小児科医が患児の全身状態から眼科検診に耐え得ると判断した時期に眼科医に依頼して眼底検査を行い、その結果未熟児網膜症の発生が疑われる場合には、光凝固法を実施することのできる乙病院に転医をさせることにしていたなど判示の事実関係の下において、甲病院の医療機関としての性格、右未熟児が診療を受けた当時の甲病院の所在する県及びその周辺の各種医療機関における光凝固法に関する知見の普及の程度等の諸般の事情について十分に検討することなく、光凝固法の治療基準について一応の統一的な指針が得られたのが厚生省研究班の報告が医学雑誌に掲載された昭和50年8月以降であるということのみから、甲病院に当時の医療水準を前提とした注意義務違反があるとはいえないとした原審の判断には、診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準についての解釈適用を誤った違法がある。
  21. 損害賠償 (最高裁判決 平成9年02月25日)民法第709条,民訴法185条,民訴法394条
    1. 医療過誤訴訟において鑑定のみに依拠してされた顆粒球減少症の起因剤の認定に経験則違反の違法があるとされた事例
      顆粒球減少症の副作用を有する複数の薬剤の投与を原因として患者が同症にかかった場合において、鑑定は、右薬剤はいずれも起因剤と断定するには難点があり、発症時期に最も近接した時期に投与されたネオマイゾンが最も疑われるが確証がなく、複数の右薬剤の相互作用により同症が発症することはあり得るものの本件においては右相互作用による発症は医学的に具体的に証明されていないとするにとどまり、本件において右相互作用により同症が発症したという蓋然住を否定するものではなく、証拠として提出された医学文献には同症の病因論は未完成な部分が多く個々の症例において起因剤を決定することは困難なことが多い旨が記載されているなど判示の事実関係の下においては、右鑑定のみに依拠してネオマイゾンを唯一単独の起因剤と認定することには、経験則違反の違法がある。
    2. 医療過誤訴訟において鑑定のみに依拠してされた顆粒球減少症の発症日の認定に経験則違反の違法があるとされた事例
      顆粒球減少症の副作用を有する複数の薬剤の投与を原因として患者が同症にかかった場合において、鑑定は、4月14日より前の患者の病歴に同症発症を確認し得る検査所見及び症候がないこと並びに同日以降の患者の症状の急激な進行から推測して、発症日を4月13日から14日朝とするが、これは患者の同症発症日をどこまでさかのぼり得るかについて科学的、医学的見地から確実に証明できることだけを述べたにすぎないものであり、他方、同症発症を確認し得る検査所見及び症候がないのは医師が同症特有の症状の有無に注意を払った問診及び診察をしなかった結果にすぎず、患者の症状の進行が急激であったと断ずるには疑いを生じさせる事情も存在するなど判示の事実関係の下においては、右鑑定のみに依拠して発症日は4月13日から14日朝と認定することには、経験則違反の違法がある。
    3. 顆粒球減少症の副作用を有する薬剤を長期間継続的に投与された患者に薬疹の可能性のある発疹を認めた場合における開業医の義務
      開業医は、顆粒球減少症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について薬疹の可能性のある発疹を認めた場合においては、自院又は他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務がある。
  22. 損害賠償 (最高裁判決  平成8年01月23日)民法第709条
    医薬品の添付文書(能書)に記載された使用上の注意事項と医師の注意義務
    医師が医薬品を使用するに当たって医薬品の添付文書(能書)に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される。
  23. 損害賠償請求事件 (最高裁判決  平成13年11月27日)
    乳がんの手術に当たり当時医療水準として未確立であった乳房温存療法について医師の知る範囲で説明すべき診療契約上の義務があるとされた事例
    乳がんの手術に当たり,当時医療水準として確立していた胸筋温存乳房切除術を採用した医師が,未確立であった乳房温存療法を実施している医療機関も少なくなく,相当数の実施例があって,乳房温存療法を実施した医師の間では積極的な評価もされていること,当該患者の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び当該患者が乳房温存療法の自己への適応の有無,実施可能性について強い関心を有することを知っていたなど判示の事実関係の下においては,当該医師には,当該患者に対し,その乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在をその知る範囲で説明すべき診療契約上の義務がある。
  24. 損害賠償請求事件 (最高裁判決  平成14年09月24日)
    医師が末期がんの患者の家族に病状等を告知しなかったことが診療契約に付随する義務に違反するとされた事例
     患者が末期がんにり患し余命が限られていると診断したが患者本人にはその旨を告知すべきでないと判断した医師及び同患者の担当を引き継いだ医師らが,患者の家族に対して病状等を告知しなかったことは,容易に連絡を取ることができ,かつ,告知に適した患者の家族がいたなどの判示の事情の下においては,診療契約に付随する義務に違反する。
  25. 保険金請求事件 (最高裁判決  平成15年12月09日) 商法第629条民法第709条民法第710条保険募集の取締に関する法律第11条1項
    1. 火災保険契約の申込者が同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をするに当たり保険会社側からの地震保険の内容等に関する情報の提供や説明に不十分,不適切な点があったことを理由とする慰謝料請求の可否
      火災保険契約の申込者は,特段の事情が存しない限り,同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をするに当たり保険会社側からの地震保険の内容等に関する情報の提供や説明に不十分,不適切な点があったことを理由として,慰謝料を請求することはできない。
    2. 火災保険契約の申込者が同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をするに当たり保険会社側からの地震保険の内容等に関する情報の提供や説明に不十分な点があったとしても慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価すべき特段の事情が存するものとはいえないとされた事例
      火災保険契約の申込者が,同契約を締結するに当たり,同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をする場合において,火災保険契約の申込書には「地震保険は申し込みません」との記載のある欄が設けられ,申込者が地震保険に加入しない場合にはこの欄に押印をすることとされていること,当該申込者が上記欄に自らの意思に基づき押印をしたこと,保険会社が当該申込者に対し地震保険の内容等について意図的にこれを秘匿したという事実はないことなど判示の事情の下においては,保険会社側に,火災保険契約の申込者に対する地震保険の内容等に関する情報の提供や説明において不十分な点があったとしても,慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価すべき特段の事情が存するものとはいえない。
  26. 損害賠償請求事件(最高裁判決 平成16年01月15日)
    スキルス胃がんにより死亡した患者について胃の内視鏡検査を実施した医師が適切な再検査を行っていれば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったとして医師に診療契約上の債務不履行責任があるとされた事例
    スキルス胃がんにより死亡した患者について,胃の内視鏡検査を実施した医師が適切な再検査を行っていれば,スキルス胃がんが発見されてその治療が実際に開始された時より約3か月前の時点でこれを発見することが可能であり,その時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法が直ちに実施され,これが奏功することにより延命の可能性があったこと,その病状等に照らして化学療法が奏功する可能性がなかったという事情もうかがわれないことなど判示の事情の下においては,医師が上記再検査を行っていれば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があると認められ,医師は,診療契約上の債務不履行責任を負う。
  27. 損害賠償請求事件(最高裁判決  平成19年04月03日)民訴法247条
    精神科病院に入院中の患者が消化管出血による吐血等の際に吐物を誤嚥して窒息死した場合において担当医に転送義務違反等の過失があるとした原審の判断に違法があるとされた事例
    精神科病院に入院中の患者が消化管出血による吐血,嘔吐の際に吐物を誤嚥して窒息死した場合において,当該患者が,上記吐血,嘔吐の約1時間20分前の時点で,発熱,脈微弱,酸素飽和度の低下,唇色不良といった呼吸不全の症状を呈していたとしても,(1)上記の時点で,当該患者に頻脈及び急激な血圧低下は見られず,酸素吸入等が行われた後は当該患者に口唇及び爪のチアノーゼや四肢冷感はなく,体動も見られたこと,(2)上記の時点で,当該患者に循環血液量減少性ショックの原因になるような多量の消化管出血を疑わせる症状があったとはうかがわれないこと,(3)病理解剖の結果に照らせば当該患者が感染性ショックに陥っていたとも考え難いことなど判示の事実関係の下では,当該患者の意識レベルを含む全身状態等について確定することなく,上記の時点で当該患者がショックに陥り自ら気道を確保することができない状態にあったとして,このことを前提に,担当医に転送義務又は気道確保義務に違反した過失があるとした原審の判断には,経験則に反する違法がある。

前条:
民法第414条
(履行の強制)
民法
第3編 債権

第1章 総則

第2節 債権の効力
次条:
民法第416条
(損害賠償の範囲)
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